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天界と地獄136

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136   天使に、人間のように理解力と意志があります。天界の光は神的真理であり、ここから神的知恵であるので、天界の光は天使の理解力のいのちをつくります。天界の熱は神的善であり、ここから神的愛であるので、天界の熱は天使の意志のいのちをつくります――天使のいのちそのものは、熱からであり、光に熱が内在しないかぎり、光からではありません。いのちが熱からであることは明らかです、なぜなら、熱を取り去ると、いのちは消えるからです。
愛のない信仰も、すなわち、善のない真理も同様です。なぜなら、信仰のものと呼ばれる真理は光であり、愛のものと呼ばれる善は熱であるからです(*12)
これらは天界の熱と光に対応する世の熱と光からさらにはっきりと明らかです。光と結合した世の熱から、地上のすべてのものは生気を与えられ、栄えます。春と夏の時にその熱と光は結合しています。しかし、熱から分離した光からは、すべてのものは何も生気を与えられないで、栄えず、無活動であり、死にます。冬の時に熱と光は結合していません、その時、熱はなくて光が存在し続けます。
地上の春の時の熱に結合した光のように、天界では、真理は善と、すなわち、信仰は愛と結合しているので、その対応から天界は楽園と呼ばれます。
それでこれらから、以前の章(13~19)で述べた「天界での主の神性は、主への愛と隣人に対する仁愛である」ことについて、その真理が、はっきりと明らかです。


*12 善のない真理は、いのちがないので、本質的に真理ではない。というのは、すべての真理のいのちは、善からであるから(9603)。
このように、あたかも霊魂のない身体のようなものである(3180, 9154)。
善のない真理は、主により受け入れられない(4368)。
善のない真理がどんなものか、そのように愛のない信仰がどんなものか、善からの真理がどんなものか、あるいは愛からの信仰がどんなものか(1949-1951, 1964, 5830, 5951)。
真理は信仰のものであり、善は愛のものであるので、あなたが真理または信仰と言っても、あるいは善または愛と言っても同じことになる(2839[注a], 4352, 4997, 7178, 7623, 7624, 10367)。
注a その後、「2839番」は著者自身により削除された。著作『最後の審判』の中の39番に続く、意志と理解力についての抜粋を見よ。