カテゴリー

天界と地獄197

196◀︎目次▶︎198

197.  ここから、みことばの中では場所と空間によって、また空間から何らかのものを得ているすべてのものによって、例えば「隔たり」・「近接」・「遠隔」・「道」・「旅」・「滞在」によって、「ミリオン」・「スタディオン」によって、「平地」・「畑」・「庭園」・「都市」・「街路」によって、「運動」によって、いろいろな種類の「尺度」によって、「長さ」・「広さ」・「高さ」によって、「深さ」によって、他の無数のものによって、状態であるものが意味されます――なぜなら、世から人間のもとの思考の中にある大部分のものは、空間と時間から得た何らかのものであるからです。
みことばの中で、「長さ」・「広さ」・「高さ」が意味するものだけをここに示すことにします。
[2]世では、空間的に長いものや広いものが、長いものや広いものと言われ、高さも同様です。しかし、空間から考えない天界では、「長さ」によって善の状態が意味され、「広さ」によって真理の状態が、また「高さ」によって段階にしたがったそれらの相違が意味されます(それらについては38番)。
このようなものがそれらの三つの尺度によって意味される理由は、天界で長さは、東から西までであり、そこに愛の善の中にいる者がいるからです。また天界で広さは、南から北までであり、そこに善からの真理の中にいる者がいるからです(前の148番参照)。そして天界の中の高さは、段階にしたがった両方のものであるからです。
ここから、みことばの中で「長さ」・「広さ」・「高さ」によって、そのようなものが意味されます――例えば、「エゼキエル書」第40章から第48章には、そこに長さ・広さ・高さに関して測定されて、新しい神殿と新しい地が、玄関・部屋・門・扉・窓・〔都の〕郊外のものとともに記述されていますが、それらによって新しい教会が意味され、またその教会の善と真理が意味されます。そうでなければ何のために、それらのすべてのものが測定されたのでしょうか?
[3]同様に、「黙示録」の中に新しいエルサレムが次のことばで記述されています――

その都は四角形であり、その長さは、幅ほどである。そして都は葦で十二千スタディオンに測られた。そして長さ、幅、高さは等しい(21:16)。

そこの「新しいエルサレム」によって、新しい教会が意味されており、それゆえ、その尺度によって、教会に属すものが意味されます。「長さ」によってその愛の善が意味され、「広さ(幅)」によってその善からの真理が、「高さ」によって段階に関する善と真理が、「十二千スタディオン」によって統一体としてのすべての善と真理が意味されます。そうでなければ、高さが長さと幅のように十二千スタディオンであったことに何の意味があるのでしょうか?
みことばの中で「広さ」によって真理が意味されることは、「ダビデの書」に明らかです――

エホバよ……あなたは私を敵の手の中に閉じ込められなかった、あなたは広い所に私の足を立たされた(詩篇 31:8)。
苦しみのうちから、私はヤーに呼びかけた。私に広い所で答えられた(詩篇 118:5)。