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天界と地獄202

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202  ここで最初に、天界の形の中にいることとは何か、いくつか述べておきます。
人間は天界の映像と世の映像に創造されました。その内なるものは天界の映像に、その外なるものは世の映像に創造されたのです(前の57番参照)――〝映像に〟と言っても、あるいは〝形に〟と言っても同じです。
しかし、人間は自分の意志の悪によって、またそこから思考の虚偽によって、自分自身の天界の映像を、したがってその形を破壊し、それに代わって地獄の映像と形を取り入れたので、それゆえ、その内的なものは出生の最初から閉ざされています。これが、人間がすべての種類の動物と異なって、無知そのものの中に生まれていることの理由です――けれども、人間に天界の映像または形が回復されるために、秩序に属すものが教えられなければなりません。なぜなら、前に言われたように、形は秩序にしたがっているからです。
みことばは、神的な秩序のすべての法則を含みます、なぜなら、神的な秩序の法則は、みことばにある戒めであるからです。そこで、人間がそれらを知り、それらにしたがって生きれば生きるほど、それだけ内なるものが開かれます。そしてそこに新たに天界の秩序または映像が形作られます。ここから、天界の形の中にいることとは何か明らかです、すなわち、みことばの中にあるものにしたがって生きることです(*3)


*3 神的真理は秩序の法則である(2447, 7995)。
人間は秩序にしたがって生きるほど、このように神的真理にしたがって善の中に生きれば生きるほど、それだけ人間である(4839, 6605, )。
人間の中に神的な秩序のすべてのものが集められており、人間は創造から神的秩序の形をしている(3628, 4219, 4222, 4223, 4523, 4524, 5114, 6013, 6057, 6605, 6626, 9706, 10156, 10472)。
人間は善と真理の中に生まれていないで、悪と虚偽の中に、このように神的な秩序に反するものの中に、ここから無知そのものの中に生まれている。それゆえ、新たに生まれること、すなわち、再生することが必要であり、それは主からの神的真理によって行なわれ、〔これは〕秩序の中へ入れられることである(1047, 2307, 2308, 3518, 3812, 8480, 8550, 10283, 10284, 10286, 10731)。
主が人間を新たに形成するとき、すなわち、再生させるとき、彼のもとのすべてのものは秩序にしたがって配列され、それは天界の形である(5700, 6690, 9931, 10303)。