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天界と地獄203

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203  ある者が天界の形の中にいればいるほど、それだけ天界の中に、それどころか、それだけ最小の天界の形の中にいます(57)。それで、それだけ知性と知恵の中にいます。なぜなら、前に言われたように、彼の理解力であるすべての思考は、また彼の意志であるすべての情愛は、彼の形にしたがって天界の中のあらゆる方向へ広がり、不思議にもそこの社会へと伝達し、また逆にその社会の思考と情愛は彼へ伝達されるからです(*4)
[2]〝思考と情愛は実際には自分の周囲に広がらずに、自分の内にある〟と信じている者がいます。そう信じる理由は、考えるものを自分自身の内部で見て、遠く離れたもののように見ていないからです。しかし、その者は大いに欺かれています――なぜなら、目の視覚の広がりは、遠く離れたものにまであり、それらの順序にしたがって、それらを広がりの中で見て、働きかけられます。理解力である内的な視覚もまた、このように霊界の中に広がります、たとえそのことを前の理由(196)から知覚していなくてもそうです――相違はただ、目の視覚が自然的に、自然界の中のものから働きかけられますが、理解力の視覚は霊的に、霊界の中に存在するものから働きかけられ、それらはすべて善と真理に関係することだけにあります――このようであることを人間が知らないのは、理解力を照らす何らかの光が存在することを知らないからです、そのときそれでも人間は理解力を照らす光がなくては、まったく何も考えることができません。その光については前に述べました(126-132)。
[3]ある霊がいて、その霊は、〝自分自身から考えるのであって、自分自身の外の広がるものは何もない、自分の外の社会と伝達するものはない〟と信じていました。
虚偽の中にいることを彼に知らせるために、最も近い社会との伝達が彼から取り去られました。このことから、彼は思考を奪われただけでなく、生命がなくなったかのように倒れ、生まれて間もない幼児のように腕をバタバタ動かすだけでした――いくらか時が経過した後、彼に伝達が回復され、回復されるにしたがって、彼の思考が戻りました。
[4]これを見た他の霊は、すべての思考と情愛は伝達にしたがって流入すること、またすべての思考と情愛が流入するので、さらにまたすべてのいのちも流入することをあとから容認しました。人間のいのちは、考えることと感じることができることから、あるいは同じことですが、理解することと意志することができることから成り立っているからです(*5)


*4 いのちの伝達は、これはいのちの拡大と呼ばれることができ、天界のそれぞれの者に、善の量と性質にしたがって、天使の周囲の社会の中にある(8794, 8797)。
思考と情愛にこのような拡大がある(2475, 6598-6613)。
それらは支配する情愛にしたがって結合され、分離される(4111)。
*5 唯一のいのちが存在し、そのいのちから天界も地上もすべてのものが生きる(1954, 2021, 2536, 2658, 2886-2889, 3001, 3484, 3742, 5847, 6467)。
そのいのちは、主おひとりからのものである(2886-2889, 3344, 3484, 4319, 4320, 4524, 4882, 5986, 6325, 6468, 6469, 6470, 9276, 10196)。
天使・霊・人間のもとに驚くべき方法で流入する(2886-2889, 3337, 3338, 3484, 3742)。
主はご自分の神的愛から流入され、それは、自分自身にあるものが、他の者にもあるようにと欲するような愛である(3472, 4320)。
それゆえ、いのちは流入するのではなく、人間の中にあるように見える(3742, 4320)。
私への会話を通して知覚され、強められた天使たちの楽しみについて、その楽しみは自分自身から生きることでなく、主から生きることである(6469)。
悪い者は、いのちが流入することを納得しようとしない(3743)。
主からのいのちは、悪い者にもまた流入する(2706, 3743, 4417, 10196)。
しかし、彼らは善を悪に、真理を虚偽に変える、なぜなら、どのような人間かによって、そのようないのちを受け入れるから、その説明(4319, 4320, 4417)。