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天界と地獄361

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361 天界の富める者の運命は、他の者にまさる富の中にいて、彼らのある者は、内部のすべてのものが金や銀からのように輝く宮殿の中に住んでいます。彼らには、生活に役立つすべてのものが豊富にあります。しかし、それらにはまったく心を置かないで、役立ちそのものに心を置いています。役立ちを明るさの中に、光の中にあるように見ますが、金や銀を暗さの中に、相対的に陰の中にあるように見ます――その理由は、世の中で役立ちを愛し、金や銀を単なる手段または道具のように愛したからです。天界では、役立ちそのものは、その善は金のように、その真理は銀のように輝きます(*4)
それで、彼らにとって世で役立ちがどのようなものであったかによって、富も、快さと幸福も、彼らにとってそのようなものとなります。
自分自身と自分に属す者の生活必需品を備えることのために、祖国のために、隣人のためにも、豊富であることを欲することは善の役立ちです。富める者は、貧しい者よりも、そのことに対して多くの方法で利益を与えることができます。また富める者となるために、心を怠惰な生活から遠ざけることができます。その怠惰な生活は有害です、なぜなら、その生活の中で人間は自分自身に植え付けられた悪から悪を考えるからです。
これらの役立ちは、それら自体の中に神性があるかぎり、すなわち、人間が神性と天界に目を向け、自分自身の善をそれらの中に置き、富の中に単なる役立つ善を見るかぎり、善のものです。


*4 すべての善には、役立ちからまた役立ちにしたがって、それ自体の快さがある(3049, 4984, 7038)。そしてまたそれ自体の性質があり、ここからどんな役立ちかによって、そのような善がある(3049)。
生活のすべての幸福と快さは役立ちからである(997)。
一般的に、生活とは役立ちの生活である(1964)。
天使の生活は愛と仁愛の善にあり、そのように役立ちを実行することにある(454)。
主からは、またここから天使からは、人間のもとの役立ちのための目的しか見られない(1317, 1645, 5844)。
主の王国は役立ちの王国である(454, 696, 1103, 3645, 4054, 7038)。
主に仕えることは役立ちを果たすことである(7038)。
すべての者は、果たす役立ちがどんなものかによって、そのような者である(4054, 6815)――説明されている(7038)。