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天界と地獄380

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380 一方の者がもう一方の者を支配する愛は、結婚愛を、またその天界の快さを完全に取り去ります。なぜなら、前に言われたように、結婚愛とその快さは一方の意志がもう一方にあることから成り立ち、またこのことが相互に交替に行なわれることにあるからです――結婚の中の支配の愛はこれを破壊します、なぜなら、支配する方はもう一方の者の中に自分の意志だけがあるようにと欲し、もう一方の者が相互に自分自身の中にあることは決して欲しないからであり、ここから相互的なものはなく、したがって、何らかの愛に属すものとその快さがもう一方の者に伝達することは、また相互に伝達することはありません。それでも、その伝達とそこからの結合が内的な快さそのものであり、それは結婚の中の祝福と呼ばれます。支配する愛により、この祝福は、またそれとともに結婚愛のすべての天的なものと霊的なものは、その存在することが知られないようにまでも、完全に消滅させられます。そしてつまらないものと思われているために、もしその愛について言われるなら、その祝福に言及するなら、嘲笑されるか、あるいは怒りを招きます。
[2]一方の者が意志するか、または愛するものを、もう一方の者もまた意志するか、または愛する時、両者に自由があります、なぜなら、すべての自由は愛のものであるからです。しかし、支配があるとき、そこに自由はありません――一方は奴隷です。支配する方もまた、支配する欲望に導かれているので、奴隷です。しかし、何が天界の愛の自由か知らない者は、このことをまったく悟りません。
それでも、結婚愛の起源と本質について前に述べたものから、支配が入り込めば入り込むほど、それだけ心は結合しないで分裂することを知ることができます――支配が征服し、征服された心は、何も意志がなくなるか、あるいは対立する意志があります。もし何も意志がないなら、愛もありません。もし対立する意志があるなら、愛の代わりに憎しみがあります。
[3]このような結婚の中に生きている者たちの内的なものは、どれほど外的なものが静けさを保つために押しとどめられ、鎮められても、ふたりの対立するものの間でよくあるように、互いに相手に対して衝突し、闘います。彼らの内的なものの衝突と闘争は、死後に現われます。多くの場合、彼らは出会い、その時、敵であるかのように、彼らの間でけんかし、互いに引き裂き合います――その時、自分自身の内的なものの状態にしたがって行動するからです。
私は何度か、彼らの闘争と引き裂き合いを見ましたが、そのあるものは復讐と残酷さに満ちていました。来世では、それぞれの者の内的なものは、自由の中に入れられ、外なるものや世での理由によって、もはや抑制されないからです。その時、それぞれの者は、内部があるがままの、そのような者であるからです。