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天界と地獄401

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401. 自己愛と世俗愛の中にいる人間は、身体の中に生きるかぎり、それらの愛から、またそれらの愛からの個々の欲望に快さを感じます――けれども、神への愛と隣人に対する愛の中にいる人間は、身体の中に生きるかぎり、それらの愛から、またそれらの愛からの善の情愛から、快さを明らかには感じていません、ただ幸福だけを感じていますが、それもほとんど気づくことのできないものです。快さは彼の内的なものの中にしまい込まれて、身体である外的なものによりおおわれており、また世の心配事によって弱められているからです――しかし、死後に状態はまったく変わります。自己愛と世俗愛の快さは、その時、地獄の火と呼ばれるようなものに変えられるので、痛々しく恐ろしいものに変わります。また時々、彼らの不純な欲望に対応した不潔なものときたないものに変わり、その時、驚くべきことに、彼らにとってそれらが快いのです。
しかし、世で神への愛と隣人に対する愛の中にいた者のもとにあった不明瞭な快さとほとんど知覚されることのできなかった幸福は、その時、天界の快さに変えられ、それらはあらゆる方法で知覚でき、感じられるものとなります。なぜなら、世で生きたとき内的なものの中に秘蔵物として隠されていたその幸福は、その時、現わされ、そして感覚の中に明らかなものとなって出てくるからです。その時、彼らは霊の中にいて、それらが彼らの霊の快さであったからです。