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天界と地獄 417

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417.  主の天界がどれほど無辺であるかは、私たちの太陽系の中で目の前に見られるすべての惑星は地球であり、さらに、その地球は宇宙に無数にあり、そのすべては住民で満ちていることからもまた明らかにすることができます。それらの地球について、そのことについては特に別の小著で扱っており、私はそこから次のものを引用します――
[2]多くの地球があり、それらの上に人間がいて、ここから霊と天使がいることは、来世では極めてよく知られています。なぜなら、そこにいて、真理への愛から、ここから役立ちを願うそれぞれの者は、他の地球の霊と語ることを許され、ここから世界の複数性について確信を与えられ、人類は一つの地球だけから存在しないで、無数の地球から存在することを教えられるからです。〔『宇宙間の諸地球』2番〕
[3]私は何度か、私たちの地球の霊とその事柄について話しました。また、「理解力を授けられている者なら、多くの地球があり、そこに人間がいることを多くのものから知ることができる。なぜなら、理性から、この地球を上回るような大きな惑星が存在し、それほどに大きな塊りが、太陽のまわりを単に動き回り、ゆっくりと進み、一つの地球をその光でわずかに輝かすためだけに創造された空虚な塊りのはずがなく、このようなもの以外に、そのさらに著しい役立ちが存在しなければならない、と結論することができるからである」と言われました。
神が宇宙を創造されたのは、人類が存在し、人類は天界の苗床であるので、ここから天界をつくる目的以外のためではない、と信じる者は、だれもがこのように信じなくてはなりませんが、その者は、地球があるところにはどこでも人間が存在するとしか信じることができません。
私たちの目の前に見えている惑星が地球であることは、この太陽系の範囲内なので、太陽の光を反射し、望遠鏡を通して調べると、炎から赤く輝く星のように見えないで、暗いものから多様になっている地球のように見えるので、このことから明らかに、地的な物質の物体であることを知ることができます。さらに私たちの地球と同様に、太陽のまわりを回り、黄道帯を進み、ここから年と、年の期間である春・夏・秋・冬をつくること、同様に、私たちの地球と等しくその軸のまわりを回転し、ここから、日、また、日の時間、すなわち、朝・昼・夕・夜をつくること、また他にも、それらのあるものは衛星と呼ばれる月を持っていて、それは私たちの地球のまわりの月のように、それ自体の球体のまわりを一定の時間でめぐっていて、また土星は、太陽から極めて遠く離れているので、大きな明るい帯も持っていて、それが多くの反射光を、その地球に与えていることからも知ることができます。
これらを知り、また理性から考える者のいったいだれが、これらは空虚な物体である、と言うことができるでしょうか? 〔『宇宙間の諸地球』3番〕
[4]私は霊と他にも話しました。宇宙の中に一つ以上の多くの地球があること、このことから、星空はこのように無辺であること、そしてこんなにも多く数え切れないそこの星のそれぞれは、その場所でまたはその太陽系の中で、いろいろな大きさで私たちの太陽に似ている太陽であることが人間により信じられることです――正しく熟考する者は、「このように無辺なその全体は創造の最終目的への手段でしかない、その目的は天界の王国であり、神性が天使や人間とともにその中で住むことができることである」と結論します。
というのは、目に見える宇宙は、すなわち、このように多数の太陽である数え切れない星に照らされた天は、地球が存在し、その地球の上に人間が、その人間から天界の王国が存在するための単なる手段であるからです。
これらから、理性的な人間は、一つの地球の人類のためだけの目的で、このように無辺な手段が作られたと考えることはとうていできません。
神性にとってこの無辺の手段が何の問題となるでしょうか? 数千それどころか数万の地球が存在し、すべてが住民で満ちても、無限であられる神性にとって、わずかなもの、ほとんど何ものでもありません。〔『宇宙間の諸地球』4番〕
[5]もっぱら知識を獲得することだけに専心した霊がいます、彼らはそのことだけで満足するからです。それゆえ、その霊に、あたりを巡り回り、この太陽系の外へもまた越えて他へ行き、知識を手に入れることが許されました。
この者は、「人間が住む地球はこの太陽系の中だけでなく、さらにまたその外に、星空に、莫大な数の地球がある」と言いました。彼らは水星からの霊です。〔『宇宙間の諸地球』6番〕
[6]計算が始められました。もし百万の地球が宇宙にあり、それぞれの地球に人間の数が三億、すなわち百万の三百倍で、六千年のうちに二百世代あって、それぞれの人間または霊に三立方キュービットの空間が与えられても、一つの合計に集められた人間あるいは霊の全数は、それでもこの地球の空間を満たさないで、惑星のまわりの一つの衛星の〔軌道がつくる〕空間もほとんど越えることがなく、〔その〕空間も宇宙の中で、ほとんど目に見えないほど小さいものです、なぜなら、衛星は肉眼の前にほとんど見えないからです。
このことが宇宙の創造者にとって何の問題となるでしょうか? もし全宇宙が満たされても創造者には十分ではありません、無限であられるからです。
このことについて私は天使と語りました。彼らは、「われわれは、創造者の無限大と比べて人類がわずかであることについて、同様の観念をもっている、しかしそれでも、われわれは空間からでなく、状態から考えている。また、われわれの観念にしたがって、地球の数がこれまでに考えることのできたと同じだけ無数に多くても、それでも主にとってまったくの無である」と言いました。〔『宇宙間の諸地球』126番の後半をやや変更〕
[7]「宇宙の中の地球」について、またその「住民」とそこからの「霊と天使」については、前述の小著の中に見られます。
そこには、主の天界は無辺であり、その全体が人類から成り立つこと、さらに私たちの主がどこでも天と地の神として承認されていることが知られる目的のために、私に現わされ、示されたものが述べてあります。