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天界と地獄 418

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418.  主の天界が無辺であることは、天界が全統一体としてひとりの人間を映し出し、人間のもとのすべてと個々のものに対応することからもまた明らかにすることができます。その対応は決して満たされることができません、全般的に身体の個々の四肢・器官・内臓と対応があるだけでなく、その内部にある小さい内蔵と小さい器官の個々のものやすべてのものと、管や繊維とすら対応があるからです。またそれらとだけでなく、天界の流入を内的に受け入れる有機体の物質とも対応があり、ここから、人間にその心の働きに役立つ内的な活動が存在します、なぜなら、人間の中に内的に存在するものは何でも、物質である形の中に存在し、物質の中に主体として存在しないものは無であるからです。
これらのすべてのものの対応が、天界とあることは、例えば、人間のすべてのものと天界のすべてのものの対応について扱われている章(87-102)から明らかにすることができます。
この対応は決して満たされることができません、一つの四肢に対応する天使の仲間の数が多ければ多いほど、ますます天界は完全になるからであり、天界の中のすべての者の完全性は数の多いことにしたがって増大するからです。
天界の中で完全性が数の多いことにしたがって増大する理由は、そこのすべての者に一つの目的があり、そしてすべての者が一致してその目的を見るからです――この目的とは共通の善です。その共通の善が支配するとき、さらにまたその善から個々の善があり、善の個々のものから共通の善があります。このことは、主が天界の中のすべての者をご自分に向けさせられ(前の123番参照)、そのことによってご自分の中で一つであるようにされるからです。
多くの者の一致と同意は、特にこのような起源からであり、このようなきずなの中で、完全さを生み出すことは、だれでも少しばかり照らされた理性から、認め、知ることができます。