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天界と地獄434

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434. 人間は、主体(対象)がないなら、考えることも意志することもできません、実体(物質)は主体から、また主体の中にあります。実体(物質)的な主体なしに存在するようになると考えられるものは無です。
そのことは、人間が視覚の主体である器官がなくて見ること、聴覚の主体である器官がなくて聞くことができないことから知ることができます。視覚と聴覚はそれらの器官がなくては無であり、存在もしません。
このようにまた、内なる視覚である思考と内なる聴覚である知覚も、これらが実体の中に、また実体から存在しなかったなら、まったく存在しません、それらは器官の形であり、その主体です。
これらから、人間の霊は身体から分離されたとき、その身体の中にあったときのように、等しく形の中に、人間の形の中に存在して、等しく感覚器官と感覚を享受すること、また目のいのちのすべてのもの、耳のいのちのすべてのものは、一言でいうと、人間に属す感覚のいのちのすべてのものは、身体に属すものではなく、身体の中の、身体の最も個々のものの中の霊に属すものであることを明らかにすることができます。
ここから、霊は人間と等しく、見、聞き、感じ、身体から解放された後は、自然界の中でなく、霊界の中でそうします。霊が身体の中にあったとき自然的に感じたものは、付け加えられていた物質を通してでしたが、その時やはり、考え、意志する中で同時に霊的に感じていたのです。