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天界と地獄435

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435. これらのことを述べた理由は、本質的に見られた人間は霊であること、また自然的で物質的な世界での働きのためにその霊に付け加えられている身体は人間ではなく、その霊の単なる道具であることを理性的な人間に納得してもらうためです。
けれども、正しい推論は、多くの者には理解されないで、反対のものを確信した者により、感覚の欺きからの誤った推論によって疑わしいものに変えられてしまうので、経験から確信するほうが望ましいでしょう。
正反対のものを確信した者によくあることですが、「獣も同じように生き、感じ、このように獣にもまた人間と同じく霊的なものがある。それでもその霊的なものは身体とともに死ぬ」と考えています――しかし、獣の霊的なものは、人間の霊的なもののようではありません。人間には最内部のものがあり、その中に神性(神的なもの)が流入し、それ自体を高揚させ、そのことによってそれ自体に神性を結合させますが、獣にはそれがないからです。ここから獣に比べて、人間は、神について、天界と教会のものである神性について考え、その神性の中で神を愛し、こうしてその方と結合することができます。神性と結合できるものは、消し散らすことができません――しかし、神性と結合できないものは、消し散らされます。
獣と比べて、人間にある内的なものについては前に扱いました(39)。欺きに捕らえられ、知識の欠如そして知性が開かれていないために、多くの者にこれらのことについて理性的に結論することができないことが生じており、その欺きが追い払われることが重要であるので、再び思い出さなくてはならないことばがあります。
それらは次のものです――

「私は、三つの天界の天使について、あるアルカナ(秘義)を記します。段階について(このことについては38)理解しなかったので、以前にはだれの心の中にも入ってきたことのないものです。すなわち、それぞれの天使、そしてまたそれぞれの人間のもとに、最内部また最高の段階、または最内部のものもまたある種の最高のものがあり、その中に主の神性が最初にまたは最も近く流入して、そこから、そのもとに継続する秩序の段階にしたがって他の内的なものを配列することです。
この最内部のものまたは最高のものは、天使や人間へ入る〝主の入り口〟、そして彼らのもとのまさに〝主の住居〟そのもの、と呼ばれることができます。
この最内部のものまたは最高のものによって、人間は人間であり、獣から区別されます、なぜなら、獣にはないからです。
ここから、人間は、動物と異なって、心(mens)とアニムス(外的な心)に属す内的なものすべてに関して、主により、主ご自身へと上げられることが、その方を信じること、その方に愛を感じること、こうしてその方を見ること、また知性と知恵を受け入れること、また理性から話すことができます。永遠に生きることもまたここからです。
けれども、主により何がその最内部に配列され、備えられるかは、天使の思考を超えており、その知恵を上回っているので、天使のだれかの知覚の中へ、はっきりと流入することはありません」。〔これは39番です〕