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天界と地獄 553

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553 天界の何らかの光の中で眺められた地獄の中のすべての霊は、それ自身の悪の形で見られます。だれもが自分自身の悪の像であるからです、なぜなら、それぞれの者のもとで内的なものと外的なものは一つとして働き、内的なものは、顔・身体・話し方・振る舞いである外的なものの中にそれ自体が見られるように示すからです。このように、どんなものであるか、目で認められます。
全般的に、他の者への軽蔑の形、自分を尊ばない者に対する脅迫の形をしています。いろいろな種類の憎しみの形、いろいろな種類の復讐の形をしています。内的なものからの狂暴さと残酷さが、それらを通して透かして見えます――しかし、他の者が彼らをほめ、尊び、礼拝するとき、彼らは、顔をしかめますが、快さからうれしそうに見えます。
[2]それらの形のすべてがどのように見えるかを、手短に述べることはできません、あるものは他のものに似ていないからです。ただ似た悪の中に、またそこから地獄の似た社会の中にいる者には、共通の類似があり、その共通の類似する面から〔いろいろなものが〕派生してくるように、そこの個々の顔には、ある類似したものが見られます。
全般的に、彼らの顔は恐ろしいものであり、死体のようにいのちを欠いています。ある者の顔は黒く、ある者の顔は、たいまつの火に似ています。ある者の顔には、吹き出物・静脈瘤・醜い潰瘍があります。顔の見えない者も多くて、そこには代わりに、髪の毛または骨のようなものが見えます。ある者は、歯だけが現われます。彼らの身体もまた怪物のようです。その話し方は、怒りまたは憎しみまたは復讐からかのようです、なぜなら、だれもが自分自身の虚偽から話し、自分自身の悪から声を出すからです――一言でいえば、すべての者は自分の地獄の像となっています。
[3]地獄そのものが全般的にどんな形であるか、〔私に〕見ることは与えられていません。次のことだけが言われました。全天界は一つの統一体としてひとりの人間を表わすように(59-67番)、全地獄は一つの統一体としてひとりの悪魔を表わすこと、また、ひとりの悪魔の像として示されることができることです(前の544番参照)。
しかし、特定的に地獄が、すなわち地獄の社会が、どんな形であるかは、しばしば見ることが与えられました。なぜなら、地獄の門と呼ばれる開口部に、多くの場合、怪物が見られ、それがたいてい、内部にいる者の形を表象しているからです――同時に、そこにいる者の狂暴さもまた、恐ろしいものとぞっとするものによって表象されますが、それらを述べることは省略します。
[4]しかし、地獄の霊は、天界の光の中でこのようなものに見えるのであって、自分たちの間では人間のように見えることを知っておくべきです。天使の前で見られるようには、自分たちの間で醜くないのは、このこともまた主の慈悲からです――しかし、それらの外観は欺きです、なぜなら、天界から何らかの光が入るとすぐに、彼らの人間の形は本質的な性質である怪物に変化するからです。その性質についてはすぐ前に述べました。なぜなら、天界の光の中で、すべてのものは本質的に存在するままに見られるからです。
ここからもまた、彼らは天界の光を避け、そして自分自身の光の中に逃げ込みます。その光は、炭火からの光のようであり、またあるところでは、燃える硫黄からの光のようです。しかしまた、この光は、そこに天界から何らかの光が流入するとき、暗黒そのものに変わります。
ここから、地獄は暗黒と暗やみの中にある、と言われ、「暗黒と暗やみ」は、地獄の中にあるような悪からの虚偽を意味します。