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天界と地獄 552

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552 死後、人間がこのようなものである時、もはや最初の状態の中にいたような霊人間〔人間的な霊〕ではなく(そのことについては前の491-498番)、真に霊です。なぜなら、真に霊である者は、彼の心(animus)のものである内なるものに対応する顔と身体をしていて、それらは彼の内なるものの型または像である外なる形であるからです。
前に述べた第一と第二の状態を終わったあとの霊はこのようなものです――それゆえ、その時、目で眺められるとき、顔からだけでなく、身体からも、そしてその後、話し方と振る舞いから、直ちに、どのようなものであるか認められます。またその時、自分自身の中にいるので、〔自分と〕似た者がいるところ以外の他のところにいることはできません。
[2]霊界では情愛とそこからの思考は、すべての点で伝達するので、それゆえ、霊は自分自身と似た者のところへ、自分の情愛とその快さから、いわば自分自身から運ばれます。むしろ自分自身をそこへ向けるのです。なぜなら、こうして自分自身の生活を吸い込む、すなわち、自由に自分の呼吸をするからです、しかし、他のところへ向けるとき、そうではありません。
霊界では、他の者との伝達は顔の方向転換にしたがって起こること、またそれぞれの者の面前に常に自分の愛と似たものの中にいる者がいること、またこのことは身体をどの方向に変えてもそうなっていることを知らなくてはなりません(前の151番参照)。
[3]ここから、地獄のすべての霊は、主を後ろにして、世の太陽の代わりに、また月の代わりにそこにある暗黒のものと暗やみのものへと向きを変えます。しかし、天界のすべての天使は、天界の太陽として、天界の月としての主へ自分を向けています(前の123, 143, 144, 151番参照)。
それで、これらから、地獄の中にいるすべての者は、悪とそこからの虚偽の中にいること、また、自分自身の愛へ向っていることが明らかです。