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天界と地獄 574

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574 前に、悪霊は自分自身を自発的に地獄へ投げ込むことを示しました(548番)――それゆえ、地獄にこのような拷問があるにもかかわらず、どこからそのことが起こるかもまた簡単に述べておきます。
どんな地獄からも欲望のスフェアが発散されていて、地獄の者はその欲望の中にいます。
このスフェアが似た欲望の中にいる者により知覚されるとき、彼は心(cor)から働きかけられ、快さに満たされます。なぜなら、欲望とその快さは一つとなっているからです。ある者が望むものは、彼にとって快いものであるからです――ここから、霊は自分からそこへ向きを変え、心(cor)の快さからそこへ行こうと望みます。なぜなら、そこにこのような拷問があることを、まだ知らず、知っていても、それでもそこへ行こうと望むからです。霊界では、だれも自分の欲望に抵抗することができないからです。欲望は彼の愛のものであり、愛は彼の意志のものであり、意志は彼の性質のものであり、だれもがそこではその性質から行動するからです。
[2]そこで霊は、自発的にまたは自分自身の自由から自分の地獄へ到着し、そして入ります。その時、最初は友たちの間にやって来たように信じていて、親しげに受け入れられます。しかし、このことはただ数時間だけしか続きません。その間に、〔その霊に〕どのような欺きがあり、ここからどのような値打ちがあるか調べられます――調べられてから、彼を攻撃することが始まり、このことは、いろいろな方法で、連続的にさらに鋭く、さらに激しくと、地獄のさらに内部へ、さらに深くへ導くことによって行なわれます――なぜなら、地獄ではさらに内部へ、またさらに深くへ行くほどますます、霊はさらに悪質であるからです。
[3]攻撃の後、彼に対して罰によって残酷に振る舞うことが始まり、このことは奴隷とされるときまで続きます。
しかし、そこではだれもが最大の者であること欲し、他の者に対して憎しみに燃えるので、そこには絶えず反乱の動きが存在し、ここから新しい攻撃があります。このようにある場面は他の場面に変わります。それゆえ、奴隷とされた者は、ある新しい悪魔が他の者を服従させるために、その働きを実行するようにと解放されます。その時、服従せず、指図に従わない者は、再びいろいろな方法で拷問され、絶えずこうしたことが行なわれます。
このような責め苦が地獄の火と呼ばれる地獄の責め苦です。