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天界と地獄 575

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575 けれども、歯ぎしりは、虚偽の間の、したがって、虚偽の中にいる者の間の、絶え間のない論争と闘争であり、他の者への軽蔑・反目・嘲笑・あざけり・冒涜ともまた結合していて、それらもまたいろいろな種類の引き裂きとなって激しく出てきます。だれもが自分自身の虚偽を真理と呼んで、そのために戦うからです。
これらの論争と闘争は、その地獄の外で歯ぎしりのように聞こえます――そしてまた真理が天界からそこに流入するとき歯ぎしりに変化します。
それらの地獄の中に、自然を認め、神性を否定したすべての者が、さらに深いところには、そのことを確信した者がいます。
彼らは、天界からの光を何ら受け入れることができず、ここから自分自身の内部に何も見ることができないので、それゆえ、その大部分の者は身体からの感覚的な者であり、目で見て、手で触れるもの以外に何も信じません――ここから、感覚の欺きのすべてが彼らにとって真理であり、ここからもまた論争します。
彼らの論争が歯ぎしりのように聞こえるのはこのことからです。なぜなら、霊界の中のすべての虚偽はギーギーときしり、歯は自然界の中の最外部のものに、そしてまた人間のもとの身体の感覚的なものである最外部のものに対応するからです(*2)(地獄に歯ぎしりがあることは、マタイ 8:12; 13:42, 50; 22:13; 24:51; 25:30。ルカ 13:28参照)。


*2 歯の対応について(5565-5568)。
感覚的なだけであり、霊的な光の何らかのものをほとんど持たない者は歯に対応する(5565)。
みことばの中の「歯」は、感覚による感知力を意味し、それは人間のいのちの最外部のものである(9052, 9062)。
来世で、歯ぎしりは、〝自然がすべてであり、神性は無である〟と信じる者からのものである(5568)。