カテゴリー

天界と地獄 577

576◀︎目次▶︎578

577 天使のもとに知恵と知性があるのと同じ程度に、地獄の霊のもとにもそれだけ悪意と欺きがあります――身体から解放されるとき、人間の霊は自分自身の善の中または悪の中にいるので、事情は似ているからです。天使の霊は自分の善の中に、地獄の霊は自分の悪の中にいます。なぜなら、しばしば以前に言われ、示されたように、それぞれの霊は自分自身の愛であるので、自分自身の善かあるいは自分自身の悪であるからです。
それゆえ、天使の霊が自分の善から考え、意志し、話し、行動するように、地獄の霊も自分の悪からそのようにします。悪そのものから考え、意志し、話し、行動することは、悪の中にあるすべてのものからそうするのです。
[2]身体の中に生きたときは異なります。その時、人間の霊の悪は、それぞれの人間にある法律・利益・名誉・名声からの束縛の中に、またそれらを失う恐れから束縛の中にいました。それゆえ、その霊の悪は、その時、突発して、本質的にどのようなものであるか明らかにすることができません――さらにまた、その時、人間の霊の悪は、外面的な正直・誠実・公正、それと真理と善への情愛で、まわりをおおわれ、包まれて横たわっていて、人間が世のためにそのように口先で装い、ふりをし、それらの下に、このように秘められ、やみの中に隠れされています。自分の霊の中にこれほどの悪意と欺きがあること、したがって自分の中に、悪魔がいることを彼自身がほとんど知らないほどです。死後、彼の霊が自分自身の中に、自分自身の性質にやって来るとき、そのような性質の悪魔になります。
[3]その時、まったく信じられないような悪意が明らかにされます。
悪そのものから数千もの悪意がその時、突発します。それらの中にはまた、何らかの言語による言葉で表現することができないようなものもあります。どのようなものであるか、多くの経験によって私に知り、知覚することが与えられました。私は、主により、霊に関して霊界に、同時に身体に関して自然界にいるようになったからです。
私は以下のことを証言することができます。彼らの悪意はほとんど数千のうちの一つすら述べることのできないほどのものであること――もし主が人間を守られないなら、どんな場合でも地獄から解放されることはできないこと、なぜなら、人間のそれぞれの者のもとには、天界からの天使がいるのと同じく地獄からの霊もまたいるからです(前の292, 293番参照)。もし人間が神性を認めないなら、もし信仰と仁愛の生活を生きないなら、主は人間を守ることができないこと、なぜなら、そうしなければ、主から自分自身を背け、地獄の霊へ向かい、こうして自分の霊に関して同じような悪意に浸されるからです――
[4]それでも人間は、霊との交わりから自分自身に適用し、あたかも引き寄せているような悪から、絶えず主により導き出されています。もし、良心である内なる束縛によってでないなら――神性を否定するなら良心は受け入れられません――やはりそれでも前に言われたような外なる束縛によってです。それらの束縛とは、法律とその罰の恐れ、そして利益を失い、名誉や名声を奪われることの恐れです。
確かに、このような人間は、自分の愛の快さによって、またそれらを失うことと奪われることの恐れによって、悪から導き出されることができます。しかし、霊的な善の中に引き寄せられることはできません。なぜなら、これらの〔霊的な善の〕中に引き寄せられれば引き寄せられるほど、それだけ、彼自身のもとで、説得し、こうしてだまそうとする目的で、善・誠実・公正を装い、偽って、策略や欺きを考えるからです。この欺くことは、彼の霊の悪を増し加え、悪を形成し、そして自分の性質の中にあるような悪にしてしまいます。