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天界と地獄 587

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587 特定の地獄の位置については、だれも、それどころか、天界の天使も知ることはできないで、主だけが知られています。しかし、それらの全般的な位置はそれらの方位から知られます――天界のように、地獄は方位に関して区別され、霊界の中の方位は愛にしたがって決定されるからです。天界の中のすべての方位は太陽としての主から始まり、それは東です。地獄は天界に対立するので、それらの方位は正反対ものから、したがって西から始まります(これらについては「天界の中の四方位」の章 141~153番参照)。
[2]ここから、西方の地獄は、すべてのもののうちで最悪な、最も恐るべきものであり、東から遠く離れれば離れるほど、段階的、連続的に、それだけ悪く、恐るべきものです。
これらの地獄の中に、世で自己愛の中に、そしてここから他の者への軽蔑の中に、また賛同しなかった者に対する敵意の中に、さらにまた自分たちを崇めず、礼拝しない者に対する憎しみと復讐の中にいた者がいます――そこの最も遠く離れたところには、いわゆるカトリック教からの者であって、そこで神々として礼拝されることを望み、ここから人間の霊魂〔の救い〕や天界での自分たちの権能を認めないすべての者に対して憎しみと復讐を燃やした者がいます。
彼らの気質(animus)は似ています、すなわち、世であったような自分たちに対立した者に対する憎しみと復讐に似た気質をしています――彼らの最大の快さは残酷に振る舞うことです。しかし、来世でこの快さは彼ら自身へ向けられます。なぜなら、彼らの地獄の中では、互いに自分の神的な権能を取り去る者に対し怒り狂っているからです。西の方向は、それらの地獄で満ちています(これらについて小著『最後の審判と滅ぼされたバビロニア』で多くのことを述べておきました)。
[3]けれども、その方位の中で地獄がどのように配列されているかは、その最も残虐な種類のものは北方に、残虐さの少ないものは南方に向かう側にあることだけしか知ることができません。このように地獄の残虐さは北方から南方へ向かって、また東に向かって徐々に減少します――東には、傲慢であり、神性を信じなかった者がいます。しかしそれでも、西方の深い所にいる者のような憎しみと復讐の中に、欺きの中にはいませんでした。
[4]今日では、東方に地獄はありません。そこにいた者は、西方の前面に移されました。
北方と南方には地獄がたくさんあります――それらの中に、世に生きた時、世俗愛の中に、ここからいろいろな種類の悪の中にいた者がいます。それらの悪は、反目・敵意・盗み・狡猾・貪欲・無慈悲です。最悪の種類の地獄は北方にあり、穏やかなものは南方にあります。その恐るべき性質は、西方に近づくほど、また南方から遠ざかるほど増大し、東方に向かって、また南方に向かって減少します。
西方にある地獄の後ろに暗い森があり、その中を悪意のある霊が獣のように歩きまわっています。北方の地獄の後ろも同様です。
けれども、南方の地獄の後ろには荒野があり、そのことについてはすぐ前に扱いました。これらが地獄の位置についてです。