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最後の審判 15

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 教会の人間がこのように信じているさらなる理由は、最後の審判の時よりも前に、人間はだれ$も天界または地獄に行くことはない、と信じているからです。最後の審判について受け入れられている見解は、「その時、目の前のすべてのものが滅んで、新しいものが存在し、霊魂はその時、自分の身体の中に戻り、人間はその結合から再び生きる」というものです! この見解は、「天使は始めから創造された」、という天使についての信仰を含みます。なぜなら、世が終わるよりも前に、人間はだれも天界や地獄に行かないことが信じられるとき、天界と地獄は人類からであることが信じられないからです。
[2]しかし、そのようでないことを人間が納得するために、天使との交わりを持ち、そしてまた地獄の中にいる者と話すことが私に与えられ、このことが今や多くの年月の間、時々は朝から晩まで絶えず続き、このように天界と地獄について教えられています。そしてこのことは、教会の人間が、審判の時の復活について、その間の霊魂の状態について、さらに天使について、悪魔について自分の間違った信仰の中にこれ以上とどまらないようにという理由のためです――その信仰は虚偽の信仰であるので、暗やみを含みます。また、それらについて自己の知性から考える者のもとで、疑いを、ついには否定をひき起します―というのは、彼らは心で、「どのようにして、それほど大きい天がこんなにも多くの星座とともに、また太陽や月とともに破壊され、消滅することが可能なのか? どのようにして、その時、天から星が、それは地より大きいのに、地に落ちることができるのか? どのようにして、虫によって食い尽され、腐敗して滅び、すべての風で散らされた身体が、自分の霊魂へ再び集められることができるのか?その間、霊魂はどこにいて、身体の中にあった感覚がなくなってしまったとき、どんな状態であるのか?」と言い、ほかにも同じような多くのことを言うからです。それらは理解できないことなので信仰の中に落ち込まないで、多くの者のもとで死後の霊魂のいのちについての信仰を、天界と地獄についての信仰を、それらとともに教会の信仰のものであるその他のものを破壊します。
[3]彼らが滅ぼしたことも、「だれが天界から私たちのところに来て、そのようであると語ったか? 地獄とは何か? 存在するのか? 人間が永遠に火で苦しめられることとは何か? 審判の日とは何か? それは数世紀の間、むなしく期待されなかったか?」と言う者がいることから明らかです。その他にも多くのことが言われますが、それらはすべて否定です。
そこで彼らが(多くの者によくあるように、その者たちは世俗的なものから賢明であり、博学で学問があると呼ばれています)、このように考え、さらに信仰と心で単純な者を混乱させ、惑わせ、そして神・天界・永遠のいのちについて、またこれらによる他のものについて、地獄の暗やみをひき起すことがないように、私の霊である内的なものが主により開かれ、このようにかつていのちが身体の中にあったときに私がよく知ったすべての者とその死んだ後に語ることが与えられました。ある者とは数日間、ある者とは数か月間、ある者とは一年間です。さらにまた他の者と、十万人と言っても少ないくらいの多くの者とです。それらの多くの者は天界の中に、また地獄の中にいました――さらにまた私は、死から二日後のある者たちと話し、私は、「今、あなたがたの埋葬のために、葬儀と葬式が行なわれています」と語りました。そのことに彼らは、「自分たちに身体とその機能として世に役立ったものは捨てるほうがよであろう」、と言いました。そして私に、「われわれは死んでいない。今や人間として以前のように等しく生きている。一つの世界からもう一つの世界へ移住しただけである。身体とその感覚の中に以前のようにいるので、以前のように理解力と意志の中に、世の中と同じような思考と情愛、同じような感覚、同じような願望の中にいるので、何かを失ったとは思わない」と言うよう欲しました。
[4]死から間もない大部分の者は、自分自身が人間として以前のように生きて、同じような状態の中にいることを見るとき(なぜなら、死後、最初のいのちの状態は、彼にとって世であったもののようであるからです、しかし、それは連続的に天界または地獄に変わります)、生きていることに新しいうれしさで感動し、そして、「このことを信じていなかった」と言います――自分たちの死後のいのち状態についてこのような無知と盲目の中にいたことに大いに驚き、そしてさらに、教会の人間が、彼らは地の全世界の中のすべての者にまさってそれらについて光の中にいることができるのに、そのような状態の中にいることに驚きます。(*3)
盲目と無知の理由は、その時、彼らは初めてそれを知ったのですが、世と身体である外なるものが、彼らの心を占め、満たしたからであり、占め、満たすほどそれだけ天界の光の中に揚げられることができず、教会の教えの事柄を越えて熟視することができないことです――というのは、人間が天界の事柄について自分の教会にある信仰の教えの教令を越えて、考えることを欲しても、身体的なものと世的なものが今日のように愛されるほど、それらから、ますます暗やみだけが流入するからです。〔これは『天界と地獄』312番と同じです〕


*3 今日、キリスト教国の中で、人間が死後、直ちに復活することを信じる者は少ない(「創世記」第16章への序文、また4622, 10758番)。
しかし、最後の審判の時、目に見える世界が滅びるとき〔復活すると信じている(10595番)。
このように信じられていることの理由(10594, 10758番)。
それでも、人間は死後、直ちに復活し、その時、すべてと個々のものに関して人間である(4527, 5006, 5078, 8939, 8991, 10594, 10758番)。
死後に生きる霊魂は、人間の霊であり、それは人間の中で人間そのものであり、そしてまた来世でも完全な人間の形である(322, 1880, 1881, 3633, 4622, 4735, 5883, 6054, 6605, 6626, 7021, 10594番)。
経験から(4527, 5006, 8939番)。
みことばから(10597番)。
聖なる都の中で死人が見られたことによって何が意味されるか説明されている、「マタイ」27.53(9229番)。
どのように人間は死人から復活するか、経験から(168–189番)。
復活後のその状態について(317, 318, 319, 2119, 5070, 10596番)。
霊魂とその復活についての間違った見解(444, 445, 4527, 4622, 4658番)。