最後の審判 18
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天界は人類からであることは、天使の心と人間の心が似ていることからもまた明らかにすることができます。二つ〔の心」とも、理解し、知覚し、意志する能力を授けられています。二つとも、天界を受け入れることへ向けて形作られています―なぜなら、人間の心は天使の心と同等に賢明であるからです。しかし、世の中ではそれほど賢明ではありません。その理由は地的な身体の中にいて、その中でその霊的な心は自然的に考えるからです。なぜなら、彼の霊的な思考は、それもまた天使と等しく彼にありますが、その時、霊的なものに対応する自然的な観念の中に流れ下り、このようにそこに知覚されるからです。けれども、人間の心はその身体との拘束から解かれるときは異なります。その時もはや自然的でなく、霊的に考え、霊的に考える時、自然的な人間には理解できないことや言葉にできないことを考え、このように天使のように賢明です。
これゆえ、人間の内なるものは、彼の霊と呼ばれ、その本では天使であることを明らかにすることができます。(*5)(天使が完全な形の人間であることは、著作『天界と地獄』(73-77番)参照)――けれども、人間の内なるものが上方に開かれていないで、下方にだけ開かれている時、やはりそれは身体から解放された後、人間の形ですが、しかし、恐ろしくて、悪魔のような形です。なぜなら、上の天界に向けて目を向けることができず、下の地獄に向けてしか目を向けることができないからです。
〔これは『天界と地獄』314番とほぼ同じですが、付加や削除された箇所があります〕
*5 人間の中に天界と同じ数のいのちの段階があり、その段階は、死後、彼の生活(いのち)にしたがって開かれる(3747, 9594番)。
天界は人間の中にある(3884番)。
愛と仁愛の生活に生きた人間は、自分自身の中に天使の知恵がある、しかしその時、隠されている。死後、その知恵の中に入る(2494番)。
主から愛と信仰の善を受ける者は、みことばの中で天使と言われる(10528番)。