最後の審判 30
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さらに、だれも自然的な人間から、そのように自然的な世界の中に生きているかぎり、裁かれません、なぜなら、その時、人間は自然的な身体の中にいるからです。しかし、霊的な人間の中で、そのように霊的な世界の中にやって来た時、裁かれます、なぜなら、その時、人間は霊的な身体の中にいるからです。
けれども、裁かれるものは、人間のもとの霊的なものであって、自然的なものではありません、というのは、それ自体から生きていないので、これに何らかの責任または罪悪はなく、単なる仕えるものや道具であって、それによって霊的な人間が行動するからです(前の24番参照)。さらにまたここから、審判は、人間が自然的な身体を脱ぎ、そして霊的なものを着た時に行なわれます。
この身体の中で、人間は、愛と信仰に関してもまたどんなものであるか見られます、なぜなら、それぞれの者は、霊的な世界の中で、顔と身体だけでなく、話すことと行動に関してもまた自分の愛の像であるからです(著作『天界と地獄』481番参照)ここから、主が喜ばれる時、すべての者がどんなものであるか知られ、そしてすぐさま分離されます。これらからもまた、審判は霊界の中で行なわれ、自然界または地上でないことが明らかです。