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最後の審判 58

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58(3)彼らの住居は今まで霊界の中のどこにあったか
すべての国民と民族の配列は、霊界の中で、続くように見られたことが前に言われました(48番)――中央に改革派教会の者と呼ばれる者が集められ、この中央の周囲にローマカトリック教からの者、彼らの向こうにムハンマドの〔宗教〕の者、最後に、いろいろな異教徒が見られました。
ここから、ローマカトリック教徒が中央の改革派教会の者の周囲に最も近い周縁部をつくっていたことを明らかにすることができます――彼らが最も近い理由は、中央にいる者は、みことばからの真理の光の中にいるからです。みことばからの真理の光の中にいる者は、天界の光の中にもいます、なぜなら、天界の光は神的な真理からであり、そしてみことばは天界からのその光の中にあるからです。(著作『天界と地獄』、天界の光が神的な真理からであること(212番)、みことばが神的な真理であること(303–310番)参照)。中央からもまた光が周縁部へ向かって発出し、照らします。ここから、中央の周囲の近くに、ローマカトリック教からの者がいます、なぜなら、みことばを持っていて、そしてまた、たとえ大衆からでなくても教会の支配者たちにより読まれているからです――これが、ローマカトリック教徒の国民が霊界の中で、みことばからの真理の光の中にいる者の周囲に、自分の住居を得た理由です。
[2]さて、彼らの住居が完全に破壊され、そして荒野にされる前に、どのように住んでいたか、述べます。
大部分の者は南と西に住み、ある者だけが北と東に住んでいました。「南」の中に住んでいた者は、世の中で他の者よりも才能を授けられ、自分の宗教的信念を確信していました。一緒にそこに、多数の高貴な者と富んだ者が住んでいました。そこの地上にではなく、強盗を恐れて、地下に、入り口に見張りを置いて住んでいました。
その方位にもまた大きな都があり、その広がりはほとんど東からそこの西へ、そしてまた少しばかりに西に、そこの位置は改革派教会の者たちの中央の最も近くです。
その都の中に無数の人間、すなわち、霊が滞在しています。神殿と修道院に満ちていました。さらにまた、聖職者たちはすべての高価なものをいろいろな策略でかき集めることができ、その都の中に運び集め、自分たちの小部屋や地下室の中に、たくわえました。その地下室は、だれも入ることができないようにつくられたものであり、迷宮の中を連れまわされる形をしていました。
そこに積み上げた宝物の中に彼らの心がありました、そしてどんな場合でも永遠に破壊されない、といった信頼がありました―私は地下室を見たとき、それらを造る技術に、またそれが終わりなしに拡大されることに驚きました。「自分たちをイエズス会士と呼んだそこにいた大部分の者は、周囲にいた富んだ者と友好的な交わりを保ちました。
その方位の中の東に向かって評議会があり、そこでは自分たちの支配の拡大について、そして大衆を盲目の服従の中に保つ方法について相談しました(それについては前の56番)――これらが、南の方位の中の彼らの住居についてです。
[3]「北」に、才能で汚すことが少なく、自分の宗教的信念を確認することも少なく、そのことから鋭く見る能力で暗く、ここから盲目の信仰の中にいた者が住んでいました。
そこには南の中ほど多くありませんでした――彼らからの大部分の者は、東の隅から西へ縦に長く、そしてまた西へは少しばかりである大きな都の中にいました。その都もまた神殿と修道院に満ちていました。東に近いその最も外側に、いろいろな宗教からの多くの者、そしてまた改革派教会からの者がいました都を越えてその方位に少しの場所もまたローマカトリックの国民に占められていました。
[4]「東」に住んでいた者は、その〔ローマカトリックの〕国民からの者であり、世で支配することの最大の快さの中に、そしてまた何らかの自然的な光の中にいました。そこの山の中に見られました、しかし、北に向かう方位の中にだけであり、南に向かう他の部分にはいません。
北へ向かう隅に山があり、そのてっぺんに心の制御がきかない者を置きました。その者に、霊界の中でよく知られ、しかし自然界の中で知られていない思考の伝達によって何でも欲する〔ことを〕押しつけ、彼が人間の形の下に現われている天の神そのものであること、このように彼に神的な礼拝を付加したことを公けにして、吹き込むことができました。このことの理由は、人々が偶像崇拝の彼らの礼拝から去ることを欲し、それゆえ、服従の中に保たれるためにそれを手段として考え出したからです――
[5]その山が、「イザヤ書」に「北側の集会の山」(第14章13節)によって、またそこの山の中にい口る者が、「明けの明星」(12節)によって意味されます。なぜなら、東に他の者よりも光の中にいたバビバロニアの集団からの者がいて、その光もまた自分たち自身に技巧で用意したからです。
天使のいる天の中にまで達した塔を建てていた者もまた見られました。しかし、これは彼らの陰謀の8単なる表象でした。というのは、霊界の中で、陰謀は遠く離れて立つ者の目の前に多くのものによって示されるからです。それでもそれら〔遠くから見えるもの〕は陰謀の中にいる者のもとに実際に存在しません。このことはそこでは普通です――その外観によって、それでも私に、「その塔のてっぺんは天の中にあった。ここからその場所はバベルと言われた」(創世記11:1–10)ことによって何が意味されるか知ることが与えられました。これらは東の中の彼らの住居についてです。
[6]「西」の前部に住んでいた者は、自分の宗教的信念から暗い時代の中に生き、大部分の者は、そこに地の下に、ある世代がもう一つの世代の下にいました。
北を眺める正面の全地域は、あたかも空洞のようであり、修道院で満ちていました。それらへの入り口は、上が被覆で隠された洞穴によって開かれていて、それらを通って出入りしました。しかし、続く世代の中に生きた者と話すのはまれでした、というのは、性が異なり、それほど悪意がなく、ここから憎しみと復讐からのそれほどの欺きと悪意もなかったので、彼らの時代に改革派教会の者と何も論争がなかったからです。
その地域を越えた西の方位に多くの山がありました、それらの上にその国民からの最も悪意のある者がいて、その者は心で神性を否定し、それでもそれを口で、他の者よりもにさらにうやうやしく告白し、身振りで崇拝しました。
そこにいた者は、極悪な策略で、自分たちの支配のくびきの下に大衆を保つことを工夫し、そしてまたそのくびきに服従することへ向けて他の者を強要しました――それらの策略は、極悪なものであるの
で、述べることが許されません。全般的に彼らがどんなものであるか、著作『天界と地獄』(580番)に記されています。」
[7]彼らが上にいた山は、「黙示録」の中で「七つの山」によって意味されるものであり、またそこの彼らは、「緋色の獣に座っている女」によって述べられています、これらのことばで――

私は、冒涜の名前で満ち、七つの頭と十の角を持つ緋色の獣に座っている女を見た。……額に、「奥義、大バビロン、淫行と地の忌まわしいものの母」と書かれた名前を持っていた。……七つの頭は、女がそれらの上に座っている七つの山である(17:3, 5, 9)。

」によって霊的な意味の中で教会が意味され、そこでは正反対の意味で冒涜的な宗教的信念が、「緋色の獣」によって天界的な愛の冒涜が、また「七つの山」によって、支配しようとする冒涜的な愛が意味されます――これらが西の彼らの住居についてです。
[8]方位にしたがって別々に住むことの理由は、霊界の中のすべての者が、彼らの情愛と愛に対応し、何も他のものに対応しない方位の中に、方位の場所の中に導かれるからです(それらについて著作『天界と地獄』(141–153番)参照、そこに天界の四方位について扱われています)。
[9]全般的に、このバビロニアの国民の協議は、天の上だけでなく、しかしまた全地の上を支配するアために、このように天と地を、天によって地を、これによってそれを獲得するために向けられています。口そのことをなし遂げるために、絶えず新しい法令と新しい教えの事柄を考え出し、工夫しました。
来世の中でもまた、世の中にあるのと似たものに励みました、なぜなら、それぞれの者が、死後、世の中であったようなものに、特に、宗教的な事柄に励むからです。
長たちからのある者たちが人々に規則としたいものであった教えについて協議しているのを聞くことが私に与えられました。
多くの箇条がありました、しかし、すべてのものが、天の上にまた地の上に支配を獲得するために、また、彼らにすべての力があり、しかし、何も主にないように向けられていました。
それらの教えの事柄は、その後、そばに立っている者の前で読まれ、読まれたとき、たとえそのことを知らなかったにしても、天から、「それらは最も深い地獄から言われた」という声が聞こえました。さらにまた、その地獄からの、まっ黒で、最も恐ろしい外観であった悪魔の集団が、それらの教えの事柄を彼らから手でなく歯でかきむしり、そして自分たちの地獄の中へ運び下ろしたことによって確信しました――これを見た人々は唖然としました。