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白い馬について 9

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9  みことばには内意と呼ばれる霊的な意味がある
だれも対応が何かを知らないなら、みことばの霊的な意味、すなわち、内意が何かを知ることはできない(2895, 4322番)。
自然界に存在するすべてと個々のものは、その最小のものまでも、霊的なものに対応し、そこから霊的なものを意味する(1886-1889, 2987-3003, 3213-3227番)。
自然的なものが対応している霊的なものは、自然的なものの中で、区別されないような、他の外観の下に見られる(1887, 2395, 8920番)。
今日、ほとんどだれも、みことばの神的なものはどこにあるか知らない、しかしそれでもその内意または霊的な意味の中にあり、それは知られていない(2899, 4989番)。
みことばの神秘的なものは、その内意または霊的な意味に含まれているもの以外の何ものでもなく、その中に、主について、その方の王国について、教会について扱われ、世の中の自然的なものについては扱われていない(4923番)。
〔みことばの〕預言は多くの個所で理解されず、このように内意がなくては決して役に立たない(例から、2608, 8020, 8398番)。
例えば「黙示録」の「白い馬」によって何が意味されるか(2760番以降)。
ペテロに与えられた「天の御国のかぎ」によって何が〔意味されるか〕(「創世記」第22章への序言。9410番)。
聖餐の「肉」「血」「パン」「ぶどう酒」によって何が〔意味されるか〕(8682番)。
自分の息子たちについてのヤコブの預言によって何が〔意味されるか〕(「創世記」第49章、12639-6465番)。
ユダとイスラエルについての多くの預言によって何が〔意味されるか〕。それらの多くはその民族に適合しないし、文字通りの意味にしたがって一致もしない(6333, 6361, 6415, 6438, 6444番)。
これ以外に他の無数の例(2608番)。
さらに、対応とは何かについて、著作『天界と地獄』参照(87-102, 103-115, また303-310番)。

みことばの霊的な、または内なる意味について、要約した形で(1767-1777, 1869-1879番)。
みことばのすべてと個々のものの中に内意が存在する(1143, 1984, 2135, 2333, 2395, 2495, 2619番)。
こうしたものは文字通りの意味には見られないが、それでもその中に内部に存在する(4442番)。