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結婚愛 48a

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48a (2) 結婚愛も同様に残る、人間のもとの内なるものであった、すなわち、世で彼の内的なものの中の意志と思考にあったような結婚愛である
性愛と結婚愛は別のものであるので、それゆえ、両方のものが名前を上げられ、そして、これ〔結婚愛〕もまた世で生きた時、人間のもとでどのようなものであったかによって彼の内なる人の中で死後に残ることが言えます――しかし、性愛と結婚愛の相違をわずかな者しか知らないので、それゆえ、この章の入り口でそれらについて何らかのものをあらかじめ言っておきます。
性愛は、〔異〕性からの多くの者へ向かう、多くの者との愛です、しかし、結婚愛は、〔異〕性からのただひとりの者へ向かう、ひとりの者との愛です。そして、多くの者へ向かう愛、多くの者との愛は自然的な愛であり、獣や鳥とも共通のものであり、これは自然的なものです、しかし、結婚愛は霊的な愛であり、そして特にまた正しく人間のものです、人間は霊的なものになるように創造され、それゆえ、生まれているからです。それゆえ、人間は霊的なものになればなるほど、それだけ性愛を脱ぎ、結婚愛を着ます。
結婚の初めは、性愛は結婚愛と結合されているように見えます。しかし、結婚の進行の中で分離され、霊的である者のもとで、性愛は追い払われ、そして結婚愛が取り入れられます。しかし、自然的である者のもとで、正反対のものが生じます。
今、言われたことから、多くの者との性愛は、本質的に自然的なもの、それどころか、動物的なものであり、不純なまた不貞なもの、さまようもの、制限のないものであるので淫行のものです、しかし、結婚愛はまったく異なっていることが明らかです。
結婚愛は霊的であり、そして正しく人間的なものであることが、続くものからはっきりと明らかになります。