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結婚愛 48b

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48b (4) しかし、しだいに、外なるものを出る、そして自分の内なるものの中に入ることに応じて、自分たちに向けて相互にあった自分たち自身の間の愛と性向を、またここから、一緒に生活することができるか、あるいはできないか、知覚する
これらがさらに説明される必要はありません、それらは先行する節の中で説明されたものからいえるからです――ここにどのように人間が、死後、外なるものを脱ぎ、内なるものを着るかだけを説明します。
それぞれの者は、死後、最初に、天界と地獄の中間にある霊たちの世界と呼ばれる世界へ導き入れられます、そして、そこで、善い者は天界へ、悪い者は地獄へ準備されます。
[2]そこでの準備は、内なるものと外なるものが一致し、一つのものをつくり、一致しないものがなく、二つのものをつくらないことを目的として持っています。自然界でそれらは二つものをつくっています、そして心が誠実である者のもとでだけ、一つのものをつくっています――二つのものをつくっていることは、狡猾な者や欺く者から、特に偽善者・おべっか使い・偽る者・うそつきから明らかです――けれども、霊界で、そのように分割された心を持つことは許されません、しかし、内なるものの中で悪い者であった者は、外なるものの中でもまた悪い者になります。同様に、善い者は両方のものの中で善い者になります――
[3]というのは、すべての人間は、死後、内部であったようなものになり、外部であったようなものにはならないからです――この目的のために、彼はその時、交互に、自分の外なるものの中に、また自分の内なるものの中に入れられます。また、だれでも人間は、外なるものの中にいる時、賢明です、すなわち、悪い者もまた賢明であると見られることを欲します。しかし、この者は自分の内なるものの中で狂っています。それらの交替によって、この者は自分の狂気を見ること、またそれらから正気に返る(後悔する)ことができます。しかし、もし世で正気に返らない(後悔しない)なら、その後、できません、なぜなら、自分の狂気を愛し、その中にとどまることを欲するからです。それゆえ、自分の外なるものもまた同様に狂うことへと追い立てます。このように、彼の内なるものと外なるものが一つのものになります。このことが行なわれるとき、地獄へと準備されます。
[4]けれども、善い者は逆です。この者は、世で神へ目を向け、そして正気に返った(後悔した)内なるものの中で、外なるものの中でよりもさらに賢明です。外なるものの中でもまた世の誘惑と虚栄から、ときどき、正気を失いました。それゆえ、この外なるものもまた彼の内なるものへ一致するように戻されます、そのことは、言われたように、賢明になることです。これが行なわれて、天界へと準備されます。
これらから、死後、どのように、外なるものを脱ぎ、内なるものを着るか説明します。