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結婚愛 80

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80 (第六のメモラビリア——)
これらが言われたとき、私は西の端を見た。見よ、火と硫黄の池が見えた。私は天使に質問した、「なぜ、そこにそのようなものが見えるのですか?」
答えた、「真理の虚偽化から池のように見えます、水は霊的な意味で真理であるからです。悪の愛から火のようなものが、また虚偽への愛から硫黄のようなものが、それのまわりに、またその中に見えます。
それら三つのもの、池・火・硫黄は、それらの中にある悪の愛に対応する外観であるからです。そこのすべての者は永遠の強制収容所に閉じ込められていて、食物・衣服・寝床のために働きます。悪を行なうとき、重くまた惨めに罰せられます」。
[2]再び、私は天使に質問した、「なぜ、あなたは、そこに霊的なまた自然的な姦淫者がいることを言ったのですか? なぜ、悪をなす者や不信心な者と言わないのですか?」
答えた、「姦淫を何でもないものとして見なす、すなわち、その者はそれが罪でないことを確信から、またこのようにはっきりとした目的から、信じ、行なう、それらすべての者は、その心で悪をなす者や不信心な者であるからです。というのは、すべての歩みで、人間の結婚と宗教は、一緒に歩く〔歩調を共にする〕からです。宗教から宗教へのすべての歩みとすべての足取りは、キリスト教の人間に特有のまた固有のものである結婚のものから結婚のものへの歩みと足取りでもあります」。
「その結婚のものとは何ですか?」との質問に、「ただひとりの妻と生活しようとする願望です、この願望が、キリスト教徒の人間に、その宗教にしたがって、あります」と言った。
[3]その後、私は霊の中で、古代人の時代で最も聖なるものであった結婚が、これほどに放埒な姦淫へと向きを変えられたことに悲嘆した。
天使は言った、「今日の宗教も同様です。なぜなら、主は、世代の完了の中で、ダニエルにより述べられた荒涼の忌まわしいものがあること、また、世の始めからなかったような大きな苦難があるであろうことが言われたからです(マタイ24:15, 21)。「荒涼の忌まわしいもの」は、すべての真理の虚偽化と剥奪を意味します。「苦難」は、悪と虚偽により攻撃される教会の状態を意味します。また「世代の完了」は、そのことについて、それらが言われていますが、教会の最後の時、すなわち、終わりを意味します。
今は〔その〕終わりです、虚偽化されない真理が残っていないないからです(=虚偽化されないで残っている真理がない)、そして真理の虚偽化は霊的な淫行であり、それは自然的な淫行と一つのものとして活動し、密着しているからです」。