カテゴリー

結婚愛 110

109◀︎目次▶︎111

110 七度目に、紙を引き出し、その紙からこれらを読んだ——
 「部屋で、窓の光の下で、私たち同国人は、結婚愛についての熟考から、思考とここから私たちの判断を喜んだ。
 だれがそれから喜ばないか? というのは、その愛が心の中にある時、同時に身体全体の中にあるから。
 私たちは、その愛の起源をその快さから判断する。だれが、これまでに、愛のその歩みを、その快さと心地よさからでないなら、知っているか、または知ったか?
 結婚愛の快感は、その起源の中で、至福・幸せ・幸福として、そして、派生物の中で、楽しさと快楽として、最終的なものの中で歓喜の中の歓喜として感じられる。
 そこで、性愛の起源が、心の内部に、またここから身体の内部に、その快感の流入に対して開かれる時にある。しかし、結婚愛の起源は、その愛の初期のスフェアが、婚約の始まりによって、観念的にその婚約を進めた時にある。
 その愛の力すなわち〔性的〕能力については、それは、その流れとともに、心から身体の中へ、愛のその移動する能力からである。というのは、心は感じ、活動し、特に、この愛から楽しむ時、頭から身体の中にあるから。私たちは、ここから〔性的〕能力の段階とその交替して存在する恒久性を判断する。
 なおまた、〔性的〕能力の美徳もまた、私たちは家系から導き出す。もしそれが父のもとで高貴なものであるなら、接ぎ木を通して、子孫のもとでもまた高貴になる。その高貴さが接ぎ木を通して生まれ、受け継がれ、伝わることは、経験とともに理性が支持する」。
 これらに文字「F」が書かれていた。