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結婚愛 111

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111 代わって、八度目に、紙を引き出し、その紙からこれらを読んだ——
 「会合の中で私たち同国人は、結婚愛の起源そのものを見つけなかった、それは心の内部で蓄えられた聖具室の中に隠れているからである。最も完成された知恵ですら、決して、何らかの理解力の眼力で、その愛をその起源の中で触れることができない。私たちは多くのものを推量した、しかし微妙なものを虚しく議論した後、私たちはたわごとか、あるいは判断力で推量したかどうか、私たちにわからなかった。それゆえ、それらの愛の起源を心の聖具室から引き出すこと、また、自分自身に視野の中に与えることを欲する者は、デルポイへ行くとよい。
 私たちはその愛をその起源の下方で熟視した、それは心の中で霊的なものであり、そこでは心地よい水流の泉のようであり、それから胸の中に流れ下り、そこで快さが生じ、胸の愛と呼ばれ、それは本質的に眺められて、相互のものへの傾向に満ちたものから、友情にまた信頼に満ちている。また、それは胸を通り抜ける時、生殖の愛になる——これや同様のものを、若者が自分の思考で思い巡らすとき、それは異性からのひとりを自分自身に選ぶとき生じるが、心(心臓)の中に結婚愛の火をつけ、その火が、その愛の発端であるので、その起源である。 
 力すなわち〔性的〕能力の起源は、私たちは、その愛そのもの以外の他のものを認めない、というのは、分離できない仲間であるから、しかしそれでも、時には一方が先行し、時にはもう一方が先行するようなものである。愛が先行し、そして力すなわち〔性的〕能力がそれに従う時、両方のものは高貴である、〔性的〕能力はその時、結婚愛の力であるからである。しかし、もし〔性的〕能力が先行し、愛が従うなら、その時、両方のものは下劣である、愛はその時、肉欲の〔性的〕能力のものであるからである。そこで、私たちは、愛が下降するかまたは上昇する、このようにその起源から心の中に進む順序から、両方のものの特質を判断する」。
 これらに文字「D」が書かれていた。