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結婚愛 116

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(五)主と教会の結婚について、その対応について

116 主と教会の結婚について、その対応について、ここでもまた扱うのは、それについての知識と理解力なしに、結婚愛がその起源の中で、聖なるもの・霊的なもの・天的なものであること、主からであることを、ほとんどだれも知ることができないからです。
確かに、教会の中で、ある者により、結婚は教会との主の結婚に関係することが言われています、しかしその関係がどのようなものか、知られていません。そこで、これが何らかの理解力の光の中で見られ、示されるために、例えば、聖なるその結婚について、主の教会である者のもとに、その者の中にあることが、詳細に扱われることが必要です。これらの者に、そしてまた他の者にでなく、結婚愛が存在します。
しかし、この秘義をわかりやすくするために、このことを次の項目に分けることにします――

(1) 主はみことばの中で「花婿」や「夫」、教会は「花嫁」や「妻」と言われ、教会との主の結合、主との教会の相互の結合は「結婚」と言われる。
(2) なおまた、主は「父」、教会は「母」と言われる。
(3) 「夫」や「父」としての主からの、また「妻」や「母」としての教会からの子孫は、すべての霊的なものであり、みことばの霊的な意味で、息子や娘・兄弟や姉妹・婿や嫁、また一族に属す他の名前によって呼ばれるものである。
(4) 教会との主の結婚から生まれる霊的な子孫は、真理であり、それらから理解力・知覚・すべての思考がある、また善であり、それらから愛・仁愛・すべての情愛がある。
(5) 主から発出し、流入する善と真理の結婚から、人間は真理を受け、主はこれを善に結合される。こうして教会は主により人間のもとで形作られる。
(6) 夫は主を、妻は教会を表象しない、夫と妻の両者が一緒に教会をつくるからである。
(7) それゆえ、天界の天使と地上の人間の結婚の中に、主との夫の対応、教会との妻の対応はない。
(8) しかし、結婚愛・受精・生殖・幼児への愛との対応、また結婚とそれらから存在するものの中の類似のものとの対応がある。
(9) みことばは、主からであり、こうして主であるので、結合の手段である。
(10) 教会は、主からであり、その方に近づき、その方の戒めにしたがって生きる者のもとにある。
(11) 結婚愛は、人間のもとの知恵の状態にしたがっているので、教会の状態にしたがっている。
(12) また、教会は主からであるので、結婚愛もその方からである。

今からこれらの説明を続けます。