カテゴリー

結婚愛 117

116◀︎目次▶︎118

117 (1) 主はみことばの中で「花婿」や「夫」、教会は「花嫁」や「妻」と言われ、教会との主の結合、主との教会の相互の結合は「結婚」と言われる
みことばの中で、主が花婿や夫、また教会が花嫁や妻と言われていることは、これらの箇所から明らかにすることができます――

花嫁を持つ者は花婿です。けれども、花婿の声のために、その方を聞いて、立ち上がり、うれしさでうれしがるのは花嫁の友人です(ヨハネ3:29)。

これらをバプテスマのヨハネが主について言いました。

イエスは言われた、「花婿がいる間は、結婚式の息子たちは断食することができません。彼らから花婿が取り去られる日がやって来ます、その時、彼らは断食します」(マタイ9:15, マルコ2:19, 20, ルカ5:34, 35)。
私は……夫のために飾られた花嫁のように準備された聖なる都、新しいエルサレムを見た(黙示録21:2)。

「新しいエルサレム」によって主の「新しい教会」が意味されることが『啓示された黙示録』に見られます(880, 881番)。

天使はヨハネに言った、「来なさい。私はあなたに花嫁を、小羊の妻を見せます」。また、彼に「聖なる都エルサレム」を見せた(黙示録21:9, 10)。
小羊の婚姻の時が来て、その妻は用意した……小羊の婚姻の正餐に呼ばれた者は幸いだ(黙示録19:7, 9)。

花嫁に出会うために五人の準備した娘がやって来て、その方とともに結婚式に入りました(マタイ25:1–10)、その「花婿」によって主が意味され、そのことは第13節から明らかであり、そこに言われています、

それゆえ、目覚めていなさい、あなたがたは、人の子がやって来る日を、その時間も知らないからです。

さらに、「預言者」の多くの箇所に。