カテゴリー

結婚愛 118

117◀︎目次▶︎119

118 (2) なおまた、主は「父」、教会は「母」と言われる
主が「父」と呼ばれていることは、これらの箇所から明らかです――

少年が私たちに生まれ、子が私たちに与えられた。その方の名前は、不思議な者、助言者、神……永遠の父、平和の君と呼ばれる(イザヤ9:6)。
エホバ、あなたは私たちの父、あなたの名前は永遠からのあがない主です(イザヤ63:16)。
イエスは言われた、「わたしを見る者は、わたしを遣わした方」父を「見ます」(ヨハネ12:45)。
もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父もまた知っていました。今では、あなたがたは、その方を知り、その方を見ました(ヨハネ14・7)。
ピリポは……言った、「私たちに父を見せてください」。……イエスは彼に言われた、「……わたしを見た者は父を見ました。それゆえ、どうして、あなたは、私たちに父を見せてください、と言うのですか?」(ヨハネ14:8, 9)。
イエスは言われた、「父とわたしは一つです」(ヨハネ10:30)。
父が持っているどんなものでも、すべてのものは、わたしのものです(ヨハネ16:15, 17:10)。
父はわたしの中に、わたしは父の中にいます(ヨハネ10:38, 14:10, 11, 20)。

主とその方の父が、霊魂と身体が一つであるように一つであること、父なる神が人間をあがない、救うために人間性をまとったこと、また世に遣わされ、天界から下ったその方の人間性が「子」と呼ばれたことは、『啓示された黙示録』の中に十分に示されています。