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結婚愛 120

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120 (3) 「夫」や「父」としての主からの、また「妻」や「母」としての教会からの子孫は、すべての霊的なものであり、みことばの霊的な意味で、息子や娘・兄弟や姉妹・婿や嫁、また一族に属す他の名前によって呼ばれるものである
主から教会によって他の子孫が生まれないことは論証を必要としません、論証なしに理性によってそのことが見られるからです。というのは、主は、すべての善と真理が発出するもとであり、教会は、それらを受け入れ、結果の中へ送り出し、天界と教会のすべての霊的なものは善と真理に関係しているからです――ここから、みことばの中で「息子と娘」によって、その霊的な意味で善と真理が、「息子」によって霊的な人の中にみごもって、自然的な人の中に生まれた真理が、そして「娘」によって同様に善が意味されます。それゆえ、主により再生される者は、みことばの中で「神の息子」、「王国の息子」、「その方により生まれた者」と呼ばれ、主の弟子たちは、「息子たち」と呼ばれました――女が産み、神へ取り上げられた「男の子」(黙示録12:5)によっても、他のものは意味されません(『啓示された黙示録』543番参照)。
「娘」によって教会の善が意味されるので、それゆえ、みことばの中でしばしば「シオンの娘」・「エルサレムの娘」・「イスラエルの娘」・「ユダの娘」の名前が挙げられており、それらによって何らかの娘ではなく、教会のものである善の情愛が意味されます(『啓示された黙示録』612番参照)。
主もご自分の教会の者を「兄弟と姉妹」と呼ばれました(マタイ12:49, 25:40, 28:10, マルコ3:35, ルカ8:21)。