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結婚愛 129

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129 (10) 教会は、主からであり、その方に近づき、その方の戒めにしたがって生きる者のもとにある
今日、むしろ、教会は主のものであり、主のものであるので、主からであることは否定されません――その方に近づく者のもとにあることは、その方の教会がキリスト教界に、みことばからあり、そしてみことばはその方からであり、そしてその方であるように、そのようにその方からであるからです。そこに神的善と結合した神的真理があり、これもまた主です――みことばによって他のものは意味されません、

神のもとにあった。神であった。それから、いのちと人間の光があり、それが肉になった(ヨハネ1:1–14)。

さらにまた、教会がその方に近づく者のもとにあることは、その方を信じる者のもとにあるからです。信じることは、神・救い主とあがない主・義のエホバであること、それを通って(羊の)おりの中へ、すなわち、教会の中へ、入り口・道・真理・いのちへ入らなければならないこと、だれもその方を通してでないなら父へやって来ないこと、父とその方は一つであること、他に多くのこと〔これらを信じることであり〕、それらをその方が教えてられています――私は言います、これらを信じることはその方からでないならだれにもできないことです。〔このことは〕近づかないならできません、〔その方も〕教えられたように、天地の神であるからです。〔教えられた者以外の〕他のだれが、近づくべきですか? また、他のだれが、近づくことができるのですか?
その方の戒めにしたがって生きる者のもとにあることは、他の者との結合がないからです。というのは、言われるから、

わたしの戒めを持ち、それを行なう者は、わたしを愛する者です……わたしは彼を愛し……彼のもとに住まいをつくります。……けれども、わたしを愛さない者は、わたしの戒めを守りません(ヨハネ14:21–24)。

愛は結合であり、主との結合は教会です。