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結婚愛 130

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130 (11) 結婚愛は、人間のもとの知恵の状態にしたがっているので、教会の状態にしたがっている
結婚愛は人間のもとの知恵の状態にしたがっていることは、以前にしばしば言われました、またこれからも、しばしば言われます。そこで、ここに、何が知恵か、またそれが教会と一つのものになっていることを説明します。
人間のもとに知識・知性・知恵があります。知識は認識のものであり、知性は理性のものであり、知恵は生活のものです――知恵は、その十分に眺められて、認識のもの・理性のもの・生活のものと一緒です。認識が先行し、理性がそれらによって形作られ、知恵が両方のものによって、またその時、認識のものである真理にしたがって理性的に生かされます。
そこで、知恵は理性と生活のものと一緒であり、理性のものとここから生活のものである時、知恵を生じます、しかし、生活のものとここから理性のものになった時、知恵です。
この世の最古代人は、生活の知恵以外の他の知恵を認めませんでした。これが昔、「賢人」と呼ばれた者の知恵でした――しかし、その最古代人の後の古代人は知恵の代わりに理性の知恵を認め、これらの者は「哲人(哲学者)」と呼ばれました。
けれども、今日、多くの者は知識も知恵と呼んでいます。学者・博学な者・単なる知識のある者たちもまた賢明な者と呼ばれています。そのように、知恵はその頂上からその谷間へ落ちました。
[2]しかし、何が知恵か、その起源、前進の中で、またここからその十分な状態の中で、さらにまた何らかのものを言います。
霊的なものと言われる教会に属すものは、人間のもとの最内部に住んでいます。市民のものと呼ばれる国家に属すものは、それらの下に位置を占めます。自然的なものと呼ばれる知識・経験・技術に属すものは、それらの長椅子をつくっています。
霊的なものと呼ばれる教会に属すものが人間のもとの最内部に住んでいることの理由は、天界と結合し、天界を通して主と結合しているからです、というのは、他のものは、主から天界を通して人間のもとに入らないからです。
市民のものと呼ばれる国家に属すものが霊的なものの下に位置を占める理由は、世と結合しているからです、というのは、世に属すものであるから。なぜなら、規定・法律・規則があり、それらが人間を束縛し、それらから、社会と都市の安定と壊れないものが生じるからです。
自然的なものと呼ばれる知識・経験・技術に属すものが長椅子をつくっている理由は、身体の五つの感覚と密接に結合していて、これらは最下部のものであって、それらの上に心のものである内的なものそして霊魂のものである最内部のものが、いわば座っているからです。
[3]さて、霊的なものと呼ばれる教会に属すものは最内部に住んでいて、最内部に住んでいるものは頭をつくり、それらの下に続く市民のものと呼ばれるものは身体をつくり、そして自然的なものと呼ばれる最下部のものは足をつくるので、それらの三つのものがその秩序で続く時、人間は完全な人間であることが明らかです。なぜなら、その時、頭のものが身体の中に、身体を通って足の中に流入するように、同様に流入するからです。そのように、霊的なものは市民のものの中に、市民のものを通して自然的なものの中に流入します。
そこで、霊的なものは天界の光の中にあるので、その光が知恵を秩序の中で照らし、愛であるその熱が生命を与え、このことが生じるとき、人間に知恵があることが明らかです。
[4]知恵は生活のもの、ここから理性のものであるので、前に言われたように、何が生活の知恵であるか質問があるでしょう――ひとまとまりの要約したものはこれです。悪を避けるのは、霊魂の害・国家の害・身体の害であるからです。善を行なうのは、霊魂・国家・身体の利益であるからです。
知恵によって意味されるものはこの知恵であり、結婚愛はそれと結ばれます。というのは、姦淫の悪を霊魂の・国家の・身体の疫病のように避けることによって結ばれるから。それらの知恵は教会のものである霊的なものからわき出るので、結婚愛は教会の状態にしたがっていることがいえます、人間のもとの知恵の状態にしたがっているからです。
このことによってもまた、先行するものの中でたびたび言われたことですが、人間が霊的になればなるほど、それだけ真の結婚愛にいることが意味されます。というのは、人間は教会の霊的なものによって霊的になるからです。
結婚愛と結合している知恵について多くのものが、以下に見られます(163–165番)。