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結婚愛 138

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(六)貞潔な者と不貞な者について

138 依然として、私は、結婚愛について詳細に取り扱うことへ、また特定的な結婚愛については、不明瞭に、このようにあいまいにしか、入り込んでいないので、さらにまたその正反対のものである不貞なものがある程度見られないなら、またこれがある程度すなわち陰の中に、貞潔とともに不貞なものとともに一緒に述べられて見られないなら、知られることができません、なぜなら、貞潔は単に貞潔から不貞の除去であるからです(ここに、それゆえ、貞潔と不貞について言われます)。
けれども、完全に貞潔と正反対である不貞について、この著作の後ろの部分で「淫行愛について狂気の快楽」の表題の下に扱い、十分に、またその多様なものとともに述べます。
けれども、貞潔と不貞が何か、だれのもとにあるか、次の順序で説明します――

(1) 貞潔と不貞は結婚と結婚に属すようなものについてだけ述べられる。
(2) 貞潔は一夫一婦の結婚、すなわち、ひとりの夫とひとりの妻の結婚についてだけ述べられる。
(3) キリスト教徒の結婚にだけ貞潔が存在する。
(4) 真の結婚愛は貞潔そのものである。
(5) 真の結婚愛のすべての歓喜は、最終的なものも貞潔である。
(6) 主により霊的になっている者のもとの結婚愛は、ますます清められ、貞潔になる。
(7) 結婚の貞潔は宗教による淫行の全面的な除去によって生じる。
(8) 貞潔は、幼児について、少年や少女についても、そして自分もとに性愛を感じる前の青年や娘についても述べられることができない。
(9) 貞潔は生まれつき去勢されていた男や去勢された男について述べられることができない。
(10) 貞潔は、姦淫を宗教の悪であると信じない者について、さらにまして姦淫を社会の害であると信じない者について述べられることができない。
(11) 貞潔は単に外なるいろいろな原因のために姦淫を慎む者について述べられることができない。
(12) 貞潔は結婚が不貞であると信じている者について述べられることができない。
(13) 貞潔は、終生の独身を誓って結婚を放棄した者について、彼らの中に真の結婚生活への愛がなく、残存しないなら、述べられることができない。
(14) 結婚の状態は独身の状態よりも優先されるべきである。

今からこれらの解説を続けます。