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結婚愛 148

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148 それぞれの人間に創造から、またここから出生から内なる結婚のものと外なる結婚のものが植え付けられています。内なるものは霊的であり、外なるものは自然的です。人間は最初に後者へやって来ます、霊的になるほど、前者へやって来ます。
 そこで、もし外なるすなわち自然的な結婚のものの中にとどまるなら、その時、内なるすなわち霊的な結婚のものは、そのことについて何らかのものを知りません、それどころか、それを空虚な観念と呼ぶほどにも、ベールでおおわれます。しかし、もし人間が霊的になるなら、その時、そのことについて何らかものを知り、その後、その性質について何らかのものを知覚し、連続的に、その楽しさ・快さ・歓喜を感じ始めます。また、これらが生じるほど、外なるものと内なるものの間をおおうことは、それについて前に〔述べましたが〕、薄くされ、その後、あたかも溶けるかのように、そして、最後に、分解され、消散させられることが始まります。
 このことが生じるとき、確かに外なる結婚のものが残ります、しかし内なるものによりそのかすから絶えず精製され、清められます。そのとき、このことが外なるものが内なるものの顔のようになり、そして祝福から内なるものの中にあるその快さを、同時にそのいのちを、この歓喜の力を得ます。
 このようなものが淫行の拒絶であり、それによって結婚の貞潔が存在するようになります。
[2]内なる結婚のものがそれ自体を外なる結婚のものから、すなわちそれ自体からそれを、分離した後でも外なる結婚のものが残っていて、分離していない外なる結婚のものと似ている、と信じられることができます。しかし、私は天使から、まったく異なっていることを聞きました。内なるものからの外なるものは、それは内なるものの外なるものと呼ばれ、すべての好色を欠いていることです、内なるものは好色に振る舞うことができず、貞潔だけを楽しみ、似たものをその外なるものに導み、その中でその歓喜を感じるからです――内なるものから分離した外なるものはまったく異なっています。彼らは、これを「全般的なものの中でまたすべての部分の中で好色なものです」と言いました。
 彼らは、内なる結婚のものからの外なるものを、快い味と香りがそれ自体に、その表面の中にしみ込んでいて、それ自体に対応するものを形作っているみごとな果実にたとえました。
[3]内なる結婚のものからの外なるものを、穀倉にもたとえました、その蓄積は決して減らされないで、取り出されるとき、絶えず、新たにもとへ戻されます。しかし、内なる結婚のものから分離した外なるものを、箕〔穀物をあおぎわける道具〕の中の小麦にたとえました、もし周囲に投げ捨てられるなら、もみ殻だけが残り、それらは風により散らされます――結婚愛は、淫行が退けられないなら、そのようになります。