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結婚愛 151b

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16 到着者から、地上から何か新しいものがあるか調べたギリシアの古代人について。 そこに、森の中で発見された人間について

151b (これらに私は二つのメモラビリアを加えます、第一のものは——)
知恵の学校(これについて前の132番)から、私が家へ立ち去る時、途中で、私は、青色(ヒヤシンス色)の衣服の天使を見た——この者は私の脇に付き添い、言った、「私は、知恵の学校からあなたが出るのを、そこで聞いたことからあなたが喜んでいるのを見ました。私はあなたがこの世界に完全にはいないで、同時に自然界にいることを認めます、それゆえ、あなたは私たちのオリュンピア祭の屋内競技場を知りません。そこに古代の賢人たちが集まり、あなたの世界から到着する者から、知恵の変化と推移にどのような状態が生じたか、今でも生じているか、学びます。もしあなたが欲するなら、私はあなたを、古代の賢人からの多くの者が、彼らの子たちが、すなわち、弟子たちが住んでいる場所へ案内します」。
私を北と東の間の境界へ導いた。私は高い場所からそれを眺めた。見よ、都が、またその一つ側に二つの丘が見られ、都に近いものは高さで低かった。彼は私に言った、「その都はアテネ、低い丘はパルナッソス、高い丘はへリコーンと呼ばれます。そのように呼ばれるのは、都とその周囲にギリシアの古代の賢人たち、例えば、ピュタゴラス、ソクラテス、アリスティッポス、クセノポンが、弟子と初心者たちとともに滞在しているからです」。
私はプラトンとアリストテレスについて質問した。
彼は言った、「彼らと彼らの追随者たちは他の領域に住んでいます、前者は生活に属す道徳的なものを教えました、けれども後者は理解力に属す理性的なものを教えたからです」。
[2]彼は言った、「アテネの都からしばしば、キリスト教徒の教養ある者へ、今日、神・全世界の創造・霊魂の不死性について、獣の状態に関連させて人間の状態について、そして内的な知恵のものである他の事柄について、何を考えているか語るために、熱心な者たち〔=探求者〕が委任されます」。また、言った、「布告者が、今日、送り出された者たちが地から新しく到着した者に会い、それらの者から好奇心がそそられることを聞いた、という集会のしるしを知らせました」。
私たちは都とその近隣から出てくる多くの者を見た、ある者は頭の上に月桂冠をかぶって、ある者は手にシュロをつかんで、ある者は脇に本を抱えて、ある者は左のこめかみの髪の中に〔葦の〕筆とともに。
私たちは、彼らと合流し、一緒に上った。見よ、丘の上にパラディウム(知恵の宮殿)と呼ばれる八角形の宮殿があり、私たちは入った。見よ、そこに八つの六角形に凹んだところ〔があり〕、それらのそれぞれの中に書棚、そしてまた机があった。それらへ月桂冠をかぶった者が着席した——パラディウムそのものの中に彫刻された石からできた席が見られ、それらの上にその他の者が座った。
[3]その時、左の扉が開かれ、それを通って地から到着したふたりの者が導き入れられた。挨拶の後、月桂冠をかぶった者からのひとりが彼らを質問した、「地からの新しい情報(ニュース)は何か?」
彼らは言った、「新しいものがある、森の中で獣のような人間が、または人間のような獣が見つけられた。しかし、顔と身体から、人間として生まれたと考えられ、そして二つかまたは三つの年齢で森の中で見失われたかまたは捨てられた」——彼らは言った、「思考の何らかのものを音で表現することができない、何らかのことばの中に、音を音節に区切ることもない。獣のように自分自身に適合する食物を知ることもなく、森にあるものを清潔なものも不潔なものも、口の中に押し込む。ほかに、獣の状態と関連させて人間の状態について、同様の多くのことが、私たちのもとのある学者たちから推測されている、ある者は多くのことを結論している」。
[4]これらを聞いて、古代の賢人からのある者たちが質問した、「それらから何を推測し、結論するのか?」
ふたりの到着した者が、多くのことを答えた、それらはそれでもこれらとして述べることができる——

(1) 人間は自分の性質から、そしてまた出生から、すべての獣よりもさらに愚かであり、ここから下等である。もし教育されないなら同様になる。
(2) 音節に区切って音で表現することを、ここから話すことを学ぶので、教育され、そのことによって思考を明らかにし始めることができる。このことが連続的にますます、社会の法律を明らかにすることができるまで〔続く〕、それでもそれらの多くのものは獣に出生から刻みつけられている。
(3) 推理力が人間と等しく獣にある。
(4) それゆえ、もし獣が話すことができるなら、すべての事柄について人間のように、それほど巧みに推論することができる。その事柄のしるしは理性と思慮分別から人間と等しく考えることである。
(5) 理解力は太陽からの光の単なる変化であり、熱と協力して、エーテルを手段として、そのように単なる手段として、自然の内的な活動である。これは知恵のように見られるまで高められることができる。
(6) それゆえ、人間が死後、獣よりもさらに生きると信じることは空虚である。おそらく、死後、何日かの間、身体のいのちの蒸発から幽霊の姿の下に、自然の中に消散される前のもやのように見られることができる。灰から灌木がその形に似たものへ生き返るように見られるのとほとんど異ならない
(7) したがって、宗教は、それは都市の法律によって外面的に保たれ、単純な者たちがその法律によって抑制の中に保たれるために、死後のいのちを教える作り事である。

これらに、単なる才気ある者はそのように推論する、けれども、知性ある者たちは〔そうで〕ない、とつけ加えた。
質問した、「知性ある者たちは何を〔考えているのか〕」。
彼らは言った、「聞いていない、しかしこのような意見を持っている」。