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結婚愛 152b

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152b これらを聞いて、机に向かって座っていたすべての者は言った、「おお、どのような時代が、今、地上に〔あるのか〕。ああ、知恵はどんな変化を被ったのか。愚かな才気へ向きを変えていないか? 太陽は沈み、地の下にあり、真昼と正反対の反対側にある。
 だれが、森の中に残され、見つけられた実例から、教育のない人間がこのような者である、と知ることができないか? 彼は教えられるようなものとならないか? 獣よりも無知の中に生まれていないか? 歩くことと話すことを学ぶのではないか? もし歩くことを学ばないなら、自分自身を足の上に立てるのか? もし話すことを学ばないなら、何らかの考えをつぶやくのか? すべての人間は教えられるような者、虚偽から狂う者、そして真理から賢明な者ではないか? 虚偽から狂っている者は、真理から賢明である者よりも賢明であるというまったくの幻想の中にいるのではないか? 森の中で見つけられた者よりもさらに人間でない、愚かで、気違いじみた人間が存在しないか? 記憶を失った者は、これらの者と同様でないのか?
[2]私たちは、これらから結論する。人間は教育なしに人間でないこと、獣でもない、しかし形であること、それはそれ自体の中に人間をつくるものを受け入れることができること、このように人間は生まれていない、しかし人間になること。また、人間はこのような形に、神からのいのちを受け入れる器官であるように生まれていること、主体であるような目的のために、神はその中にすべての善をもたらすことができ、ご自分との結合によって永遠に幸福にすること。
 あなたがたの話しから私たちは知覚する。今日の知恵は、獣のいのちの状態と関連させて、人間のいのちの状態について、まったく何も知らないほどに消滅し、愚鈍にされた。ここから、死後の人間のいのちの状態も知らない——しかし、これを知ることができるが、知ることを欲しない、ここからそれを否定する者を、あなたがたキリスト教徒の多くの者が行なうように、私たちは森の中で見つけられた者にたとえることができる。教育を取り去ることからそのように愚かにされるのではない、しかし感覚の欺きによってである、それらは、自分自身をそのように愚かな者にする真理の暗やみである。