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結婚愛 175

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175 妻は男(夫)の特有の本分に、また逆に、男(夫)は妻の特有の本分に入ることができません、知恵とその愛のように、または思考とその情愛のように、または理解力とその意志のように異なっているからです――男(夫)の特有の本分で、理解力・思考・知恵が主要な役を演じます。けれども、妻の特有の本分で、意志・情愛・愛が主要な役を演じます。男(夫)は前者から自分の本分を行ない、妻は後者から自分の本分を行ないます。それゆえ、彼らの本分はその特質から異なっています。しかしそれでも、継続的な連鎖の中で結合しています。
[2]多くの者により、女たちは少年のように最初の年齢からそれらに導かれさえすれば、男たちの本分を果たすことができる、と信じられています。しかし、それらの実践の中ではできます、けれども本分の正しさを内的に頼っている判断の中ではできません。そのために、男たちの本分に導かれた女たちは、判断の事柄で男に相談することを強いられ、その時、彼らの助言から、もし自分自身で選択できるなら、自分の愛に一致するものを選びます。
[3]さらにまたある者により、女たちは、自分の理解力の鋭さを男の〔理解力がある〕光のスフェアの中に等しく高揚することが、そして同じ高さの中で物事を見通すことできると、思われています。その見解は、彼らに学識ある女流作家のある者により書かれたものによって導き出されました。しかし、これら〔書かれたもの〕は霊界の中で、彼女たちが臨席する調査の中で、判断や知恵に属すものでありません、才気や雄弁に属すものであること、また、それらはこれらの二つ〔才気と雄弁〕から発出し、構成された言葉の優雅さと粋なことから、あたかも高尚で学問的なものかのように見えることがわかりました。しかし、すべての才気を知恵と呼ぶ者の前でだけです。
[4]男たちもまた、女たちに特有の本分に入り、彼らに正しく果たすことができないことの理由は、彼女たちの情愛に入ることができないから、それらはまったく男たちの情愛から異なっているからです。
男性の情愛と知覚は創造から、またここからの本質からそのように区別されているので、それゆえ、イスラエル民族の法令に次のこともありました――

女の上に男の衣服が、男の上にも女の衣服があってはならない。これは忌み嫌われるものであるからである(申命記22:5)。

その理由は、霊界のすべての者は自分の情愛にしたがって衣服を着せられ、男と女の二つの情愛は、ふたりの間でないなら、決してひとりの中で結合されることができないからです。