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結婚愛 249

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249 (13) 冷淡の外なる原因の第四のものは、何らかの関心または商売への決心が何もないことであり、それから放浪性の欲望がある
 人間は役立ちのために創造されています、役立ちは善と真理の容器であるからです、それらの結婚から、その章〔結婚愛の起源について〕に示されているように、そしてまた結婚愛から創造があります。
 関心と商売によって役立ちのためのすべての適用が意味されます。それで、人間が何らかの関心と商売の中に、すなわち、役立ちの中にいる間は、その時、彼の心は輪のように限定され、制限され、その内でしだいに真の人間の形に整えられ、そこから家からのように自分自身の外のいろいろな欲望を見ます、また内部の健全な理性からそれらを、したがって、淫行の好色で野蛮な狂気もまた追い出します。ここから、彼らのもとの結婚の熱はさらに十分に、またさらに長く、他の者のもとよりも、持続します。
[2]自らを怠惰と無為に任せる者に正反対のものが起こります――これらの者の心は制限のない、不確定なものであり、ここから人間はその全部の中に、世からまた身体から流入するすべての空虚なものとばかばかしいものを入れ、彼らの愛の中で受け取ります。その時、結婚愛もまた流刑へと追い出されることが、明らかです。というのは、怠惰と無為から心は鈍り、身体は動かず、人間全体はすべての生命力のある愛に向けて無感覚になるからです。特に、結婚愛に向けて、そこから泉からのようにいのちの精力的な働きと活発さが流れ出ます。
 けれども、これら者のもとの結婚の冷淡は他の者のもとのその冷淡から異なっています。確かに、結婚愛の剥奪ですが、欠如からです。