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結婚愛 248

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248 (12) 外なる原因の第三のものは、夫婦の間で卓越を張り合うことである
その論拠は、結婚愛は、その最初のものの間で、意志の結合を眺め、ここから自由を喜ぶからです。卓越をすなわち支配について張り合うことは、これら二つのもの〔意志の結合とここからの自由〕を結婚から追い払います。というのは、意志を部分に分割し、分裂させ、選択の自由を奴隷状態に変えるからです。
その張り合うことが続く間は、一方の霊はもう一方に対する暴力を考えます。その時、もし彼らの心が開かれ、霊的な視覚で眺められるなら、短剣で戦っている者たちのように、代わるがわる憎しみで、また代わるがわる好意で互いに眺めているように見えます。猛烈な張り合いの中にいるとき憎しみで、支配の望みの中に、また情欲の中にいる間は、好意で眺めます。
[2]この争いは、一方がもう一方への勝利の後、心の外部から引き下がります、しかし、心の内部で自分自身を取り戻し、そこに、秘められた騒動とともにとどまります。ここから、征服された者にすなわち奴隷となった夫に、そしてまた勝利した者にすなわち女主人に冷淡があります――この者にもまた冷淡があります、もはや結婚愛がなく、そしてこの愛の剥奪は冷淡であるからです(235番)――結婚愛の代わりに、この者に卓越からの熱がありますが、この熱は結婚の熱とまったく一致していません、しかし、情欲の手段で外的に一致することができます。
彼らの間の暗黙の合意の後、結婚愛が友情になったように見えます――しかし、結婚における結婚的な友情と奴隷的な友情の間の相違は、光と陰の間の、生きている火と鬼火の間の、実に、肉で豊かな人間と骨と皮だけでできた人間の間の相違のようです。