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結婚愛 256

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256 (20) 冷淡の偶発的な原因にも多くのものがある。これらの最初のものは、常に許されることから平凡なものになっていることである
 常に許されることから平凡なものになっていることが偶発的な原因であることは、結婚についてまた妻について好色に考える者にとって原因となりますが、結婚について神聖にまた妻について信頼して考える者にとって原因とならないからです。常に許されることから平凡なものになっていることから、楽しさもまた無関心を、そしてまた飽きを生じるのは、遊びや演劇・音楽の演奏・踊り・祝宴、また他の似たものから明らかです、それらは活気づけるものであるのでそれ自体に愉快があります。夫婦の間で一緒に生活する者に、交わる者に同様に生じます。特に、愛から自分たちの間で不貞な性愛を遠ざけなかった者の間で、そのとき、常に許されることから平凡なものになっていることについて〔性的〕能力の欠乏の中で空虚なことを考えている者の間で生じます――それが平凡なものになっていることが冷淡の原因であることは、それ自体から明らかです。
 これが偶発的なものと呼ばれるのは、原因として、それに影響を与える論拠として、内在的な冷淡をそれ自体に加えるからです。
 さらにまたこのことから起こる冷淡を退けるために、彼女らに生来の思慮分別から許されるものを、いろいろな反抗から許されないものにしています。
 しかし、妻について貞潔に判断している者のもとでまったく異なって生じます。それゆえ、天使たちのもとで、常に許されることから平凡なものになっていることが、霊魂の歓喜そのものであり、彼らの結婚愛の容器です。なぜなら、絶えずその愛の快さの中に、そして心配で中断されない心が現存することにしたがって、そのように夫のもとの賢明な選択からの最終的なものの中にあるからです。