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結婚愛 260

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260 (24) 心の中に冷淡があるように、身体の中にもある。前者の冷淡の増加にしたがって、身体の外なるものも閉ざされる
 今日、人間の心(mens)は頭の中にあり、そのどんなものも身体の中にないことが信じられています。そのときそれでも、霊魂と心は、頭の中にも身体の中にもあります、というのは霊魂と心が人間であるから、というのは、両方のものが霊をつくり、それが死後に生きるからです。それが完全な人間の形の中にいることは、私たちの章〔主題〕の中で十分に示されています――ここから、人間は何らかのものを考えると直ぐに、それを身体の口から瞬く間に発声し、同時にそれを身振りで映し出すことができます。また、何らかのものを意志すると直ぐに、それを瞬く間に身体の四肢によって動かし、行動することができます。それらは、もし霊魂と心が同時に身体の中にいて、その霊的な人をつくっていないなら、生じません。
 このようであるとき、結婚愛は身体の中にある間、身体の中でそれ自体に似たものであり、愛は熱であるので、それが内部から身体の外なるものを開きます、けれども逆に、その〔愛の〕欠如は、それは冷淡であって、内部から身体の外なるものを閉ざすことを見ることができます――これらから天使たちのもとに永遠に続いている能力の原因が、また人間のもとで欠如した原因、冷淡の原因が明らかです。