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結婚愛 261

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25 自己愛から支配する愛の中にいる者について

261 (これらに次のメモラビリアを加えます、第一のものはこれ——)
霊界の東に近く、さらに高い北の方位に、少年そして青年のための、成人そしてまた老人のための教育の場所がある。この場所へ、幼児で死んだすべての者は送られ、天界で育てられる。同様に、それへ世から新たに到着し、天界と地獄についての知識を望むすべての者は送られる。
その地域は、すべての者が主からの流入によって教えられるために東の近くにある、というのは、主は東であるので、そこの太陽の中におられるからであり、それはその方からの純粋な愛である。ここから、その太陽からの熱は、その本質では愛であり、それからの光は、その本質では知恵である。これらが彼らに、主から、その太陽から吹き込まれ、そして、受け入れることにしたがって吹き込まれ、受け入れることは賢明になる愛にしたがっている。
教育の期間の後、知的になった者はここから送り出され、これらの者は主の弟子と呼ばれる——ここから最初に西へ、そこにとどまらない者は、南へ、ある者は南を通って東へ送り出され、そこに彼らの住まいがある社会へ導き入れられる。
[2]かつて、私は天界と地獄について熟考していたとき、両方の状態について普遍的な知識を願い始めた。普遍的なものを知る者は、その後、特定のものを把握することができると知っている、全般的なものの中に部分があるように、前者の中に後者があるからである。
この願いの中で、私は東に近い北の方位のその地域を眺めた、そこに教育の場所があった、その時、私に開かれた道を通って、行き、ある大学へ入った、そこに若い男たちがいた。
私は、そこで教える上級の教師たちに近づき、彼らに、天界と地獄について普遍的なものを知っているか質問した。
[3]彼らは、何らかのわずかなものを知っている、と答えた。「しかしもし、私たちが主へと東に向かって眺めるなら、私たちは教えられ、知る」。
彼らはそのようにして、言った、「地獄の普遍的なものは三つある、しかし地獄の普遍的なものは天界の普遍的なものと正反対に対立している——地獄の普遍的なものはこれらの三つの愛である——自己愛から支配する愛、世俗愛から他の者の財産を所有する愛、淫行(的な)愛。
それらに対立する天界の普遍的なものはこれらの三つの愛である——役立ちへの愛から支配する愛、財産によって役立ちを行なう愛から世の財産を所有する愛、真の結婚愛」。
これらが言われて、平和を祈った後、私は立ち去り、家に戻った。
私が家にいたとき、私に天界から言われた、「上のものと下のものであるその三つの普遍的なものを調べよ、その後、私たちはそれをあなたの手の中に見る」、
「手の中に」と言われたのは、人間が理解力で調べたすべてのものは、天使たちには、手に刻み込まれているように見えるからである。