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結婚愛 262

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262 この後、私は、地獄の普遍的な第一の愛を調べた、それは自己愛から支配する愛であった、その後、それに対応する天界の普遍的な愛を調べた、それは役立ちへの愛から支配する愛であった。というのは、一方の愛を調べることなしに、もう一方の愛を調べることが私に許されなかったから、理解力は、もう一方なしに、一方の愛を受け入れないからである、というのは、対立しているから。それゆえ、両方のものが知覚されるために、一方がもう一方に反して、正反対のものの中に示される。というのは、美しくかわいらしい顔が、その対立した、美しくないまた醜い顔から明らかになるからである。
 私が自己愛から支配する愛を議論したとき、この愛が最高度に地獄的なものであったこと、ここから最も深い地獄にいる者にあること、また役立ちへの愛から支配する愛は、最高度に天界的であり、ここから最も高い天界にいる者にあることを知覚することが与えられた。
[2]自己愛から支配する愛が最高度に地獄的であることは、自己愛から支配することはプロプリウムから〔支配すること〕であるからである、そして人間のプロプリウムは出生から悪そのものであり、悪そのものは主に対して正反対である。そのために、彼らは、その悪へ進めば進むほどますます、主と教会の聖なるものを否定し、自分自身と自然を崇拝する。私は、その悪にいる者を本質的に調べ、見ることを求めた。
 さらにまた、この愛は彼に抑制がゆるめられればゆるめられるほど、それは不可能が妨げられないとき生じるが、それだけ段階から段階へ、最高点へまでも突進するようなものである。そこに終わりもなく、もしさらに上の段階が与えられないなら、苦しみ、嘆く。
[3]政治家のもとのこの愛は、〔自分たちが〕王や皇帝たちであることを、もし可能なら、世のすべての者の上に支配することを、王たちの王たち、皇帝たちの皇帝たちと呼ばれることを欲するまでも上昇する。しかし、同じ愛が聖職者のもとでは、神々であることを天界のすべての者の上に支配するように、神々の神々と呼ばれることを欲するまで上昇する。
 これらやそれらの者は、心で、何らかの神を認めないことが続きの中で見られる。
 しかし、逆に、役立ちへの愛から支配(統治)することを欲する者は、自分自身から支配することを欲しないで、主から欲する、役立ちへの愛は主からであり、主ご自身であるからである。これらの者は地位を役立ちを行なうための手段としか眺めず、役立ちを地位のはるか上に置く、しかし、前の者たちは地位を役立ちのはるか上に置く。