結婚愛 293
29 バラの園に座っていた七人の妻たちについて、彼女たちは結婚愛についていろいろなことを話した
293 (これらに二つのメモラビリアを付け加えます、第一のものはこれ——)
かつて窓を通して私は東へ向かって眺め、ある泉の近くにバラの花壇の上に座って水を飲んでいる七人の女たちを見た。私は何を行なっているのか見るために強く鋭い視線を向け、そして私の強く鋭い視線が彼女たちに働きかけた——それゆえ、彼女たちからのある者が身振りで私を招いた。私は家を出て、急いで近づいた。着いたとき、丁寧に、どこから来たのか質問した。
彼女たちは言った、「私たちは妻です、ここで結婚愛の歓喜について話し合い、多くの確証から、その歓喜は知恵の歓喜でもあることを結論しています」。
返答は、他の前の時のものよりも、霊の中で私に、ここから知覚の中に見られたように、私の心(アニムス)を喜ばせ、さらに内部のものそして照らされたものであった。それゆえ、私は彼女たちに言った、「これらの楽しさについていくつかの質問を許してください」、すると同意した。
私は質問した、「結婚愛の歓喜が知恵の歓喜と同じであることを、どのように、あなたがた妻たちは知っているのですか?」
[2]答えた、「このことを、私たちは、夫のもとの知恵が私たちのもとの歓喜に対応することから知っています。なぜなら、私たちのもとのこの愛の歓喜は、高まり、減ります、そしてまったく私たちの夫のもとの知恵にしたがってその性質を与えるからです」。
これらを聞いて、私は質問して、「私は、夫たちの柔らかい言葉が、そして彼らの心の快活さが、あなたがたに働きかけること、あなたがたは胸全体で彼らから楽しむことを知っています。それでも、私は、彼らの知恵がそれをひき起こす、とあなたがたが言うことを不思議に思います。しかし、知恵が何か、どのような知恵が〔それを行なうか〕私に言ってください」と言った。
[3]これらに妻たちは憤慨して、答えた、「あなたは、私たちが、知恵が何か、どのような知恵が〔それを行なうか〕知らない、と思っているのですか? そのときそれでも、夫たちのもとのそれらについて私たちは絶えず熟慮しています、それらを、日々、彼らの口から学んでいます。なぜなら、私たち妻たちは私たちの夫たちの状態について朝から夕まで考えているからです——一日中、私たちの直覚的な思考が彼らからまったく去る、すなわち、不在である時間はほとんど存在しません。逆に、一日中、夫たちは私たちの状態について、ほとんど何も考えていません——ここから、私たちは、彼らのどんな知恵が私たちの中で楽しんでいるか知っています——夫たちはその知恵を霊的理性的な知恵、そして霊的道徳的な知恵と呼んでいます。夫たちは、霊的理性的な知恵を理解力また思考のエッセ(存在)と言い、そして霊的道徳的な知恵を意志や生活のエッセ(存在)と言います。しかし、それら両方のものを〔一つのものとして〕考え、一つのものにします、この知恵の楽しいものが彼らの心から私たちの胸の中に、歓喜の中に移され、私たちのもの〔心〕から彼らの胸の中に、このようにその知恵の起源へ戻る、と想定しています」。
[4]その時、私は、「あなたがたの中で歓喜となる夫たちの知恵について、さらに何らかのものを知っていますか」と質問した。
言った、「私たちは知っています。霊的な知恵があり、ここから、理性的な知恵と道徳的な知恵があります。霊的な知恵は救い主なる主を天地の神として認めること、その方から、みことばによって、そしてここからの説教によって生じることですが、自分自身に教会の真理を、そこから霊的理性的な知恵を得ること、その方からそれらにしたがって生活すること、そこから霊的道徳的な知恵を得ることです。これら二つのものを夫たちは知恵と呼びます、それらは全般的に結婚愛を生み出します。
私たちは夫たちから理由も聞いています、それらの知恵によって心の内的なものが開かれ、ここから彼らの身体のもの、そこから最初のものから最後のものまで、愛の水脈として、自由な通行が存在するようになり、その流れ込みの十分な数量と力から、結婚愛は依存し、生きていることです。
私たちの夫たちの霊的理性的なまた霊的道徳的な知恵には、特に結婚に関して、目的また標的として妻だけを愛すること、他の女へのすべての欲望を取り去ることがあります——このことが生じれば生じるほどそれだけ、程度に関してその愛が高められ、そして質に関して完全にされ、そしてまたそれだけ私たちは私たちの中の明瞭なまた鋭敏なものを、私たちの夫たちの情愛の快さと思考の楽しさに対応したものを感じます」。
[5]その後、私は、〝どのように伝達が生じるか〟知っているか質問した。
言った、「愛を通してのすべての結合の中に、活動・受容・反作用があります。私たちの愛の楽しい状態は働きかける力(作用因)または活動であり、夫たちの知恵の状態は受け入れるものまたは受容です、そしてまた受容にしたがって反応することまたは反作用があります、この反作用は私たちから、その受け入れに向けて常に広がる状態と用意する状態にしたがって、胸の中の歓喜とともに知覚されます、それらは夫たちのもとの力(精力)とともに、そのようにまた私たちのもとの愛の最外部の状態とともに、何らかの割合で密着し、ここから発出します」。
さらに言った、「私たちが話している歓喜によって、あなたが愛の最終の歓喜を理解しないように用心してください。これらについて私たちは決して何らかのものを話していません、私たちの胸の歓喜について話しています、それらの永続的なものは私たちの夫の知恵の情愛に対応しています」。
[6]この後、遠方から口にくわえた木の葉とともに、あたかも飛んでいるかのようなハトが現われた、しかし近づくに応じて、ハトに代わって手にした紙とともに小さな少年が見られ、私たちに近づいてその紙を私に差し出し、言った、「それを、これら泉の処女たちの前で読みなさい」。私はこれらを読んだ。「地上の住民に言いなさい、あなたはその者たちといます、〝結婚愛が存在し、その歓喜は無数であり、それらについてほとんど何らかのものは依然として世に知られていない〟ことです。しかし、教会がその主と婚約し、そして、結婚するとき、知ります」。
その時、私は質問した、「なぜ、その少年はあなたがたを泉の処女たちと呼んだのですか?」
答えた、「私たちはこの泉に座っているとき、私たちは私たちの夫の知恵の真理への情愛であるので処女と呼ばれ、真理への情愛は処女と呼ばれます。泉もまた知恵の真理を意味し、そしてその上に私たちは座っているバラの花壇はその歓喜を意味します」。
[7]その時、それら七人からのある者が、バラからの花冠を編み、それに泉の水を振りかけ、そしてそれを少年の帽子の上に彼の小さな頭のまわりに置き、言った、「知恵の歓喜を受け取りなさい。あなたは、帽子が知性を、そしてバラからの花冠がこの歓喜を意味することを知っているでしょう」。
そして少年はこれらで飾られて立ち去り、遠方から、再び、ハトが飛んでいるように見えた、しかし頭の上に冠を被っていた。