カテゴリー

結婚愛 296

295◀︎目次▶︎297

296 (1) 選択は男にあり、女にない
 このことは、男は理解力であるために、けれども、女は愛であるために生まれているからです。なおまた、一般的に、男たちのもとに性愛があります、けれども、女たちのもとに〔異〕性からのひとりへの愛があるからです。そのようにまた、愛について話すことまたそれを公けにすることは、男たちにふさわしくないものでなく、女たちにふさわしくないからです。しかしながら、それでも、女たちに求婚者たちからひとりを選択の自由があります。
 男に選択があることの最初の原因を考慮してみます、理解力へ向けて生まれているからです、理解力は適合するものと不適当なものを見通すこと、そしてそれらを見分けること、判断から適切なものを選ぶことができるからです。女たちのもとで異なります、愛に向けて生まれているからです、彼女たちにその光の洞察力はありません、ここから彼女たちに結婚への決断は、自分の愛の性向からでないなら、ないでしょう。もし男たちから男を見分ける知識が彼女たちにあるなら、それでも彼女たちの愛は外観へ向けられています。
[2]なぜ、選択が男に〔あって〕女にないか第二の原因を考慮してみます、一般的に、男たちのもとに、性愛があること、また女たちのもとに〔異〕性からのひとりへの愛があり、性愛がある者たちに、自由な慎重さ、そしてまた決断があります。女たちに異なります、彼女たちに〔異〕性からのひとりに向かう愛が植え付けられています。
 あなたが確信するために、どうぞ、出会う男に、一夫一婦の結婚と一夫多妻の結婚について質問してみてください。すると、あなたは一夫多妻を支持して答える者に会わないのはまれでしょう、これは性愛です。しかし、それらの結婚について女たちを質問してみなさい、するとほとんどすべての者は、娼婦を除いて、一夫多妻の結婚が退けられます。それらから、女に〔異〕性からのひとりへの愛が、そのように結婚愛がある、と見なせます。
[3]第三の原因に関して、愛について話すことまたそれを公けにすることは男たちにふさわしくなくはないこと、また女たちにこのことはふさわしくないことは、それ自体から明らかです。ここからもまた、男たちに宣言することがあり、宣言があるなら選択もまたある、といえます。
 女たちに求婚者たちから〔選ぶ〕選択の自由があることは、よく知られています。しかし、この選択の種類は狭くまた制限されたもの、けれども男のものは広くまた制限のないものです。