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結婚愛 306

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306 (10) 婚約の期間の終わった後、結婚式が行なわれなければならない
単に形式的なものである儀式が存在し、同時に本質的なものである儀式が存在します。後者の間に結婚式があります。本質的なものの間にあるものは、礼儀正しく明らかにされ、正式に祝われなければならないことは、これらの理由によって証明されます――

(ⅰ) 結婚式は、婚約によって開始されたもっぱら霊の状態であった以前の状態の終わりをつくり、そして結婚によって開始されるべき後の状態の始まりをつくり、それは同時に霊と身体の状態である。というのは、その時、霊は身体の中へ入り、そこで働くから。それゆえ、その日に、花婿と花嫁の名前を状態を脱ぎ棄て、そして配偶者たちが床の交わり(夫婦の契り=夫婦としてともに寝ること)の状態と名前を着る。
(ⅱ) 結婚式は、新しい状態の中への導入と入場であり、それは処女が妻となり、若者が夫となり、そして両方の者が一つの肉となるためである。それは、愛が最外部のものによって彼らを結合させる時、行なわれる――結婚が実際に処女を妻に、そして若者を夫に変えることは、なおまた、結婚はふたりを一つの人間の形に、もはやふたりではなく、一つの肉であるように結合することは前に示された。
(ⅲ) 結婚式は結婚愛からの性愛の完全な分離のための入り口であり、それは、結合の十分な機会によって生じ、その時、一方の愛がもう一方の愛へ向けて制限された属性(割り当て)が生じる。
(ⅳ) 結婚式が単に二つのそれらの状態の間の中休みをつくるように、このように単なる形式的なものであり、それらは省略されることができることのように見られる。しかしそれでも、それらの中にもまた次の本質的なものがある――前述のその新しい状態は、その時、契約から入らなければならないこと、そして同意(承諾)を証人の居合わせる中で宣言し、そしてまた、聖職者により神聖なものとされ、ほかに他のものによってそれを確定させなければならないこと。

結婚式に本質的なものが内在するので、またそれ以前ではなく、その後に正当な結婚が生じるので、それゆえ、結婚式は天界でも祝われます(前の21番、またそれらの後の27–41番参照)。