結婚愛 316
32 庭園について、そこで結婚に関する神的摂理についての談話があった
316 (第二のメモラビリア——)
かつて、心(アニムス)の安らぎと心(mens)の平和な快さの中で歩いていると、私は遠方に木立を見た、その真ん中に小さな宮殿へ向かう並木道があった。私は、宮殿へ入っている娘と若者たち、そして夫と妻たちを見た——さらにまた、私は霊の中でそこへ近づき、入り口に立っているある見張りに、私もまた入ることが許されるかどうか質問した。
彼は私を眺めた、私は、「なぜ、あなたは私を眺めるのですか?」と言った。
彼は答えた、「私は、あなたが結婚愛の快さからの何らかのものを得て、平和の快さがあるかどうか見るために眺める、それはあなたの顔の中にある。
この並木道の後に庭園が、その真ん中に家があり、そこに最近結婚したふたりの夫婦がいる、その者へ、今日、女友だちと友人たちが、祝福するためにやって来る。私が入ることを許す者を、私自身は知らない。しかし私は、彼らを彼らの顔から知るであろう、と言われた。もし私がそれらの顔の中に結婚愛の快さを見たなら、これらの者が入ることを許し、他の者を許さない」。
すべての天使たちは、顔から他の者の心の快さを見ることができる。私の顔に見た愛のその快さは、私が結婚愛について瞑想したものであった。この瞑想が私の目から輝き出て、ここから私の顔の内的なものの中に入った。それゆえ、私に、「入ることが許される」と言った。
[2]私が通って〔小庭園へ〕入った並木道は、実を結ぶ木々から、枝によって相互につながれ、それらは両側に木の絶え間なく続く壁をつくっていた。並木道を通って私は小庭園へ入った、それは灌木と花から楽しみを与えるものを吹き出し、灌木と花が二つ一組になっていた。私は、このような小庭園が、婚礼がある家、また婚礼があった家のまわりに見られ、ここから婚礼の小庭園と呼ばれていることを聞いた。
その後、私は家の中へ入った、そこに、互いに手を握って、真の結婚愛から互いの間で話しているふたりの夫婦を見た。その時、彼らの顔から結婚愛の像を、彼らの会話からその生命力を見ることが与えられた。
私が、多くの者の間で「おめでとう」と言い(直訳:願いを呼び)、彼らの幸福を願った後に、私は婚礼の小庭園へ出た。私はその右側に若者からの集団を見た、家から出たすべての者がその集団へ走り寄った。すべての者がそこへ走り寄った理由は、そこで結婚愛についての話しがあり、この話しがすべての者の心(アニムス)を、ある隠された力でそれ自体へ引きつけたからである。
その時、その話を賢明な者から聞いた、私が聞いたそれらは、要約すればこれらであった——
[3]天界の結婚について、また結婚の中で、主の神的摂理は最も個々のものとここから最も普遍的なものである、すべての快いものは結婚愛の快いものから、泉の流出口からの甘い水のように、わき出るからである。それゆえ、結婚の一組は〔もともと〕生まれるかのように備えられている。これらの者は主により常にその結婚へ向けて、少年も少女も、そのことを知らないで育てられている。時の過ぎ去った後、その時、適齢期の娘は、結婚にふさわしい若者は、運命からのようにどこかで出会い、互いに見る。直ちに、その時、ある種の本能からのように、配偶者であることを知り、ある種の命令(内なる声)のようなものから内部に自分たち自身の中で考える、若者は彼女が私のものであること、娘は彼が私のものであることである。しばらくの間、このことが両方の者の心に定まった後、熟慮して、互いに話しかけ、婚約する。運命・本能・命令からのように、と言われたが、神的摂理からであることが意味される、これが知られない時、そのように見えるからである。
結婚へ向かう一組が生まれ、そして両方の者に知られないで、結婚へ向けて教育されることを、両方の者の顔に見える結婚のものが似ていることによって、なおまた、アニムスと心の最内部と永遠の結合によって確信した天界にあるようなそれらは、主からの予見と備えられたものなしに、ありえない。
[4]賢明な者がこれらを話した後、集団が拍手喝采した。さらに、人間のもとの最も個々のものの中に、男性にも女性にも、結婚のものがあることを言った。「しかしそれでも、男性のもとで結婚のものと女性のもとで別ものであり、なおまた、男性の結婚のものは女性の結婚のものとの結合へ向かっている、そして逆もいえ、さらにまた最も個々のものの中にもある。このことをそれぞれの者の中の意志と理解力の結婚によって論証した、それら二つのものは心の最も個々のもののと身体の最も個々のものの中で一緒に働く。それらから、どの実体にも、最小のものの中にもまた結婚のものがあることを見ることができる——このことは単一の実体から組み立てられている合成された実体から明かされる、例えば、二つの目・二つの耳・二つの鼻・二つのほほ・二つの唇・二つの手と腕・二つの腰・二つの足、そして人間の中の内部に脳の二つの半球・心臓の二つの心室・肺に二つの葉・二つの腎臓・二つの睾丸があること、またそこに二つのものがなくても、それでも二つに分かれている
二つのものがあるのは、一つは意志のもの、もう一つは理解力のものであるからであり、それらは、一つのものをもたらすために互いに不思議に働く。それゆえ、二つの目は一つの視覚を、二つの耳は一つの聴覚を、二つの鼻の穴は一つの嗅覚を、二つの唇は一つの話すことを、二つの手は一つの仕事を、二つの足は一つの足取りを、二つの脳半球は一つの心の住まいをつくる。二つの心室は血によって身体の一つのいのちを、肺の二つの葉は一つの呼吸をつくる、等々——しかし、真の結婚愛によって結合された男のものと女のものは、完全に人間的な一つのいのちをつくる。
[5]これらが言われた時、右に赤い稲妻が、左に白く輝く稲妻が見られた。二つとも穏やかであった、そして目を通って心の中に入り、これらもまた照らした。それらの後、雷も鳴った、それは優しいさざめきであり、天使たちの天界から流れ下って、大きい音となった。
これらが聞かれ、見られて、賢明な者が言った、「これらは私にとって、私が自分の話しに、それらの一組のものからの右がそれらの善を意味し、左がそれらの真理を意味することをつけ加えるようにとのしるしと警告である。これは善と真理の結婚からであり、それは人間に普遍的なものの中に、そのすべての個々のものの中に刻み込まれている、そして善は意志に、真理は理解力に、そして両方のものは一緒に一つのものに関係する。ここから、天界の中で右目は視覚の善、そして左はその真理である、なおまた右耳は聴覚の善、そして左はその真理、そのようにまた、右手は人間の力の善、そして左はその真理である。他の一組のものも同様である——また、右と左にそれらの意味であるので、主は言われた、
もし右の目があなたをつまずかせるなら、それをえぐり出しなさい……。もし右の手があなたをつまずかせるなら、それを切断しなさい(マタイ5:29, 30)。
そのことによって、もし善が悪となるなら、これは追い出されなければならないことを意味した——なおまた、 弟子たちに、網を舟の右側に降ろすよう言われ、そのように行なった時、おびただしい多数の魚を獲ったことによって(ヨハネ21:6, 7)、〔弟子たちが〕仁愛の善を教え、このように人間を集めることを意味した」。
[6]これらが言われた後、再び、以前のものよりも穏やかなそれらの二つの稲妻が見られた。その時、左の稲妻がその白光りを右の稲妻の赤い火から得ていることが見られた——これらを見て、「これは私の話しを確かなものとする天界からのしるしである、天界の中で火は善である、そこの白光りは真理であるからである。左の稲妻がその白光りを右の稲妻の赤い火から得ていることが見られたのは、光の白光りすなわち光は、火の輝き以外の何らかのものでないことのしるしを示している」と言った。
これらを聞いて、すべての者はその稲妻から、またそれらについての話しから、善と真理の喜びで燃え立たされて、家へ去った。