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結婚愛 318

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318 (1) 配偶者の死後、再び結婚生活を結ぶことは、先行している結婚愛にかかっている
 真の結婚愛は、それによって再婚への傾向が計量されるはかりのようです。先行している愛がその愛へ近づけば近づくほど、それだけ再婚への傾向が退きます。しかし、先行する愛がその愛から退けば退くほど、それだけもう一つの結婚への傾向が近づくことが常です――原因ははっきりしています、結婚愛は心の結合と同様の段階の中にあるからです、それがある者の身体での生活の中に、もうひとりの死の後に残り、これが傾きを抑え、天秤の中の針のように、真の愛を自分のものとすることにしたがって、重量でまさるようにします――しかし、この愛への接近は数歩近づくことはあっても今日ではまれであるので、傾向が重量でまさる〔天秤ばかりの〕皿は、大部分は等しくすることへ向けてそれ自体を持ち上げるようにし、ここから他の側へ、すなわち、結婚へ傾き、向かいます。
[2]以前の結婚の中でその先行している愛が真の結婚愛から引き下がっていた者のもとでは正反対です。その理由は、それからの離脱が、心の分離と同様の段階の中にあるからです、さらにまたそれはある者の身体の生活の中で、もうひとりの死の後に残り、これが他の者との分離により意志に入り、新しい結合への傾向をつくるからです。意志の傾向からもたらされるその思考のために、結合とこのようにさらに快い同棲(一緒に住むこと)について希望がもたらされます。
[3]再婚への傾向が、先行している愛の状態からその起源を得ていることは、よく知られており、理性もこのことを見ます。というのは、失うことの恐れが、また失うことの後の悲しみが真の結婚愛に内在し、この悲しみとその恐れが心の最内部そのものの中にあるから。ここから、その愛から内在すればするほど、それだけ霊魂は、意志と思考から、すなわち、意図から、その対象者の中に、その者とともに、その者の中にいたように傾きます。これらから、以前にあった愛の段階にしたがって、心がもう一つの結婚へと天秤の中で保たれることがいえます。このことから、死後、同じ者が再結合され、そして同様に、世でのように、互いに愛します――しかし、前に言われたように、今日、その愛はまれであり、指先でそれに触れる者はわずかです。触れない者は、さらにまた、その愛から遠く引き下がっている者は、以前に過ごした冷淡であった共同の生活の中で分離を望んだように、そのように他の者との結合を望みます。
 しかし、それらについて、多くのものを続きの中で述べます。