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結婚愛 320

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320 (3) 真の結婚愛がなかった者たちに、再び結婚生活を結ぶのは、何も妨げがなく、害がない
 結婚愛がない者たちに、何らかの霊的なすなわち内なるきずなはありません、しかし単なる自然的なすなわち外なるきずながあります。また、もし内なるきずながその順序と進行の中で外なるものを保持しないなら、これは縛るものを奪われた束のようにしか存続せず、それは投げることかまたは風にしたがって散らばります――その理由は、自然的なものは霊的なものからその起源を得ていて、その寄せ集められた霊的なものから存在する塊でしかないからです。それゆえ、生み出し、あたかもそれを産む霊的なものから自然的なものが分離されるなら、もはや内的なものが含まれず、全般的なもので取り巻き、縛る霊的なものからの外なるものだけであり、それは個々のものの中に集められず、束ねるものの中に保たれません――ここから、ふたりの配偶者のもとで、霊的なものからの自然的なものの分離は、心の何らかの結合をつくらず、このように意志の結合をつくりません、しかし身体の感覚に密着している何らかの外なる情愛の結合だけをつくります。
[2]このような者に何も妨げがなく、害がなく、むしろ再び結婚生活を結ぶことができるのは、彼らに結婚の本質的なものがなく、ここから彼らに死による分離の後、何らかの結婚の本質的なものも内在しなかったからです。それゆえ、その時、感覚的な情愛を結ぶことの完全な自由選択の中にいて、もし、男やもめなら、だれ(女)とでも、またもし、やもめなら、だれ(男)とでも、好みのままであり、許されます――彼ら自身も結婚について自然的にしか、またいろいろな必要と外なる役立つことのために利点からでしか考えません、それらは、死によって、再び、前の者の代わりに他の人物によって回復されることができます。また、おそらく、彼らの内的な思考が、霊界でのように、見通されるなら、それらの中に、結婚の結合の間と結婚外の性交の間に何らかの区別は見つけられません。
[3]これらの者に再度のまた再度の結婚を結ぶことが許されているのは前述の原因です。自然的なだけの結合は、死後、分解し、そして崩壊するからです。というのは、外なる情愛は、死後、内なるものに密着するもの残されて、身体につき従い、それとともに埋葬されるからです。
 しかし、地上では内的に結合された結婚にほとんど入ることができないことを知らなければなりません、そこに内なる似た者を選択することが、天界でのように、主により備えられることができないからであり、多くの方法で制限されているからです、例えば、状態と条件で〔ふさわしい〕相手に、住んでいる王国・都市・村の内に、そしてそこに大部分は外なるものが彼らを結びつけています、このように内なるものが結びつけてないからです。それは結婚の〔期間の〕経過の後でないなら現われず、外なるものが割り込んでくる時だけ、知られます。